漱石と(近代)小説

  『漱石研究』(創刊号、1993年)に富山太佳夫が「歴史に背を向けて―漱石歴史学」という題で、漱石が進化論と心理主義(小説)には関心を抱いていたが、19世後半のイギリスの歴史認識歴史小説には背を向けていたと指摘している。そもそも2年強の留学で下宿に閉じこもって小説を読みふけっていたが、英文学や英文学史について体系的にはとらえていなかった。でもイギリスの大学や文学研究も同様だったようだけど。「英文学」という制度が確立していなかった時代にどのように苦闘したか。と言うかその前に「英文学」というタームについて意識していたかも不明ですが。

   そして富山太佳夫は『漱石研究』(終刊号、2005年)にも「近代小説、どこが?」と言う題で、漱石の『明暗』が近代小説の要件である政治やジェンダー、階級、人種、植民地主義等への眼差しを欠いていると指摘する。『明暗』は面白い小説だと認めているけれども。

  この英文学研究の泰斗?は小森陽一石原千秋と一時期成城大学で同僚だったようです。この漱石神話を壊すような論文を創刊号と終刊号に掲載する編集者の小森・石原ペアの懐の深さというか、研究の公正性を守ろうとする姿勢のようにも見えます。

  富山太佳夫は「漱石の読まなかった本 英文学の成立」(『ポパイの影に―漱石/フォークナー/文化史』みすず書房、1996年)や「漱石と英国留学」(『書物の未来へ』青土社、2003年)も書いていて、やはり正典(聖典?)としての漱石文学に一矢報いています。確かに漱石のロンドン留学は望んでいなかったとしても、文学研究の戦略を欠いていたと思わざるを得ない。

 スターンの『トリストラム・シャンディ』というポスト・モダン的と言ってもいい難しい小説を理解でき、オースティンを通俗的と言いつつ評価した漱石だったけれど、10才年上のポーランドからイギリスにやってきて書いたコンラッドの『闇の奥』は理解できなかった。英語が読める漱石でしたが世紀転換期前後のイギリスやヨーロッパの植民地における覇権や収奪などの歴史における問題が理解できなかったとしてもそのような限界は仕方がないとも言えそうな気がする。

  もう少し漱石本を読もうか迷っています。少し疲れて(飽きて?)きたような。

 

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写真はスコットランドのスカイ島のシングル・モルト。このタリスカーの12年は他の醸造所のように、熟成が甘みに向かわないようなテイストで気に入っています。何かというとシェリー酒やバーボンの樽で熟成とか、ダブル・マチュア―とか言って、値段を上げて、熟成のもつ潔い強さが欠けているのが多い中で、荒波の潮の香りが感じられる爽やかな12年ものです。