五輪とポストモダン

 

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今朝の朝日新聞の朝刊の「オピニオンとフォーラム」欄で「東京五輪 国家の思惑」に触発されて、一部影響されて書きます。東大の吉見俊也さんの執筆によるもので、僕はメディア論の代表者として記憶していましたが、大きくは社会学、その中でも都市論でも重要な論客です。

 またミーハー的なコメントですが、セミナーの懇親会で吉見さんがその場にいましたが、会話はしませんでした。それほどミーハーでもないって事です。2007年から2011年まで名古屋で真夏の5日間開催されたアメリカ研究セミナーでの事です。名古屋大学のN畑さんに東北・北海道地区からの委員にならないかと誘われて受けました。地元のトヨタ補助金もあってか、本格的な国際セミナーでした。国内外の優秀な研究者が集まって、とても刺激的でした。ここで関西の研究仲間と知り合ったのも大きな収穫でした。真夏の名古屋が思ったほど不快ではなく、でもホテルや大学は冷房が効いているので、うすい上着が必要な事も知りました。名古屋の人ってウナギが好きなんだという事もその店の多さと、流行り方から理解できました。

 さて吉見さんの「昭和の神話のまま」から、僕はポストモダンならぬモダンのままの思考形態だなと思ったのでした。有名な菅さんの東京五輪へのノスタルジックな語りの古臭さ。1964年はちょうどポストモダンの始まりとされた時期で、その議論は1970年代にはじまり、日本への波及は1980年代でした。日本のニューアカ・ブームと重なります。

 ポストモダンのタームの重要な一つに「分散」がありますが、1964年の東京五輪は東京という都市の一極集中化を図るもので、モダンの最後/ポストモダンのはじまりの時期に、逆行するものでした。戦後の復興を世界に見てもらいたいという涙ぐましい日本の気持ちもあったようにも思いますが。しかし後から都市の住民の暮らしよりも経済発展と開発が重視されたことが次第にわかってきます。下町をはじめ、古き良き東京が根こそぎ壊されていった。

 その後もポストモダンに逆行する都市の一極集中が進み、さらに今回の五輪もその流れに沿っている。なにもポストモダンンがすべて正しいと言っているのではなくて、モダンの正誤を吟味する議論がポストモダンでもあったので、「集中」がもたらすディメリットを「分散」で回避する訳です。明治以降の近代化が地方から人や資源を集めて実現したことは、漱石の諸作品でもよく分かります。漱石をさっと読んでも深読みをしても、日本の急ぎ過ぎの近代化がもたらす弊害について繰り返し指摘しています。

 今回のコロナで、国民の安全のために国という枠組みが重要になる部分と、ワクチンの供給などで国境を越えた支援や協力の在り方も見えてきています。これもポストモダン的には国という制度と国境を越えた協力体制を多元的に実施すればいいのだと思います。モダンの「統一」に対する「多元的」ということです。日本の内部でも、東京の感染者の多さから東京首都圏の集中の危うさを指摘する意見も改めて強調されると思います。オンライン化で東京本社機能の相対化もちょっとずつ出てくるでしょうし。

 国の首都でも、企業の本社でもほんとうに東京に集中してしまって、100年ちょっと前に京都から東京に遷都した時ほどの英断でなくても、首都は東京のままで、その他の機能は分散するって危機管理の初歩だと思うのですが。

 最後にもう一度ポストモダン的な枠組みで、パラダイム(一時はやった言葉です)で考えてみると、東京という大きな物語を地方という小さな物語に分散する事で、今回のようなパンデミックにも対応できるし、無理やりな急ぎ過ぎの開発にも歯止めがかかる可能性が強いと思います。今回は近代の最後の間違った神話に一方ならぬ思い入れを持った、しかもその後の世界の変化を理解しない、他者の意見(専門家の知見や他の政治家の意見など)に敬意を払わない指導者が突っ走ってしまった事。そしてそれをとめる事ができなかった日本。五輪が終わった後もよかった、よかったで済ませないようにしたい。

 暑い時に暑い?話題なので、雪景色の写真でもと思いました。