オースターと伝統の脱構築

 

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 オースターの初期の小説を読み直して、あまり面白くないなぁと思っていたら、前項でふれた1999年の『ユリイカ』の対談を読んでがぜん興味がわきました。巽孝之さんとラリー・マキャフリー。ラリーもいいけれど、特に巽さんのコメントがいいのです。マーカーを引きながら読んでいて、けっこうマーカーだらけになりました。

 (前にも書いたかも知れませんが、僕が忘れている以上に、これを読んでいる人は覚えていないと思いますが)巽さんの名前を初めて知ったのは、筒井康隆のエッセイでコーネル大に留学中のSFに詳しい若手研究者としてふれていました。それが1970年代僕も院生の頃か。僕が1994年にアメリカ文学会の全国大会で発表した時は、一番前の席で聞いてくれましたけれど、つまらなそうな?顔をしていたような。わざわざ来てくれたのはテーマがオースターだったのと、司会が巽さんの友人の新しいアメリカ小説に詳しい越川芳明さんだったせいかも。

 その巽さんも3月で慶応を定年。その最終講義も外連(けれん)と内容の高さで評判になりました。僕は巽さんがアメリカ文学会の会長の時に北海道支部の代表だったので、お会いすれば立ち話をする事も。

 さて途中ですが、このブログはときどき司会をするためのお勉強に使いますので、文学に関心のない読者の方(ごく少ないでしょうが)すみません。実は前の「越境と郷愁」からそんな意図で書いていましたけれど(ブログ本を読んでくれた人は理解してくれると思いつつ)。

 でポストモダンとかアヴァンポップとか新しさ(1990~2000年代の頃です)で最初評価されたオースターのアメリカ文学の伝統との関わりについてふれています。つまりホーソーンメルヴィルなどのアメリカン・ルネッサンスの作家たちに内在する不条理性を探求していると指摘。彼らはロマンス作家であると同時にカフカベケットら不条理作家の先駆でもあると。これは20年前のコメントですが、実はその頃にこの本を買ったのですが、ちゃんと読んでいなかったのか、僕にとってはとても新しく刺激的でした。

 しかも探偵小説という通俗/大衆小説のジャンルに不条理かつ実存的な要素を組み込んで、ニューヨークと言うポストモダンな迷宮都市を舞台として描いた訳です。僕は仲間と「ポストモダン都市ニューヨーク」というシンポジウムを2000年同志社大学でやって、2001年には本にする事になったので、原稿をかかえてニューヨークに半年滞在して、最後に9.11に沿遇しました。     

 オースターはマンハッタンンの隣のブルックリンにいて、都市文学ならぬ文学都市をみごとに作り上げたとラリーは言っています。ブルックリンの中でも安全で高級なブルックリン・ハイツだと思います。僕もマンハッタンのミッドタウンではなく、ブルックリン・ハイツにアパートを借りればと後から思いました。

 上記のラリーの発言は、ニューヨークという都市を舞台にした文学ではなく、文学でニューヨークの本質を描き出すという意味だと思います。う~ん、ニューヨークを舞台にした都市文学でも、この都市の本質を描く事はできるから、この説明では不十分だね。ニューヨークを外側から描くのでなく、内側からニューヨークという都市を文学的に再構成する事で、この都市の本質を描く、この方が少し分かりやすいだろうか。

 少し疲れてきたので、また再挑戦します。写真はメルヴィルの「書記バートルビー」の口癖”I would prefer not to”、「できればやりたくないのですが・・・」がグッズになっていたので紹介します。

 2009年12月支部大会にお呼びした竹村和子氏は絶対的労働拒否が存在論的解放につながるという趣旨でバートルビーを論じました。うまく説明できませんが、とても刺激的な講演でした。2010年前後に5年ほど名古屋で毎夏3日間ほど開催していたアメリカン・サマー・セミナーでもご一緒した記憶があります。いい意味でのフェミニズムの論客でもあった竹村さんは10年前に57才で亡くなりました。

 その後、仲間でしばらく”I would prefer not to”が流行りました。なんか労働≒強制という風に連想して、上昇志向や出世、世俗的成功などあまり好きでない世界とつながってしまうんですね。ま、文学研究なんて選ぶのは最初からそんな労働拒否になりやすい性格の持ち主だと思いますけども。

 最後に『バートルビーと仲間たち』(新潮社、2008年)を紹介。「バートルビー症候群」にかかった作家たちの「書けない」≒「書かない」事についての面白くも深い考察(と言っていいだろうか)。