『幽霊たち』とフィルム・ノワール

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 オースターの『NY3部作』の2作目『幽霊たち』の探偵ブルーがもっとも好きな映画が『過去を逃れて』。僕も好きで、2013年の12月19日のブログで書いて本にも入れました。3作目の『鍵のかかった部屋』では主人公が右手の指にLOVE, 左手の指にHATEと入れ墨をした人物に出会いますが、これはチャールズ・ロートンの監督作『狩人の夜』(1955)における邪悪でどこか憎めないロバート・ミッチャムからの引用です。この映画は商業的には成功しなかったけれど、ある種のフィルム・ノワールとしてカルト・ムービーになりました。

 でブルーが『過去を逃れて』と、対照的な『素晴らしき哉、人生!』(1946)を比較して、いずれも過去から逃れられない、別の人生を生きようとして失敗する、後者はそれでよしとする。ではブルーはどうか。ブルーはジェフ・マーカム(ミッチャム)は過去に追いつかれたと考える。いったん何かが起きてしまえば、それを変える事はできない。ジェフ・ベイリーと名前を変えた彼の過去はけっこうややこしいです。物語の詳しい紹介はしません。

 ここで『過去を逃れて』のブログを再掲しようと思いましたが、柴田さんの『幽霊』についてのコメントの方が当然面白いので紹介します。誉めて落とすのも何ですが、『過去を逃れて』を『過去からの脱出』としたは見落としだろうか。

 さて出典はまたも『ユリイカ』(1999)のオースター特集。ホーソーンの『ウェイクフィールド』が『幽霊』にも出てくるのですが、自分がここにいる事が実感できないような人の話、その系譜ですが、三部作まではそれを書いている。孤児的な話、追放された者の物語とは似ているけれど違う。『ウェイクフィールド』では妻と住む家を出て、近くに一人で住むという不条理ですが、『幽霊』では探偵ブルーはただそこから出て行く。不在と消失と人生の意味のなさ。それが「幽霊」でもあるのかな。

 そんな三部作の最後『鍵のかかった部屋』ではどのように引き継がれるか。

 『鍵のかかった部屋』について書くかどうかは分かりませんが、『幽霊』の寓意的な物語りよりは、リアリスティックですが、また途中で寓意的になったり、これも柴田さんの『偶然の音楽』についての説明ですが、他の作品にも当てはまるように思えます。

 写真は家の玄関先に置いてある銅葉のマンサク。葉がきれいですが、花もいい。