『ペーパーチェース』とティモシー・ボトムズ

   

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   ブラック・シネマについて書いたら70年代のアメリカ映画についても少しと思ったのですが。

 『70年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)をながめると、とてもとてもたくさんいい映画があって簡単にはふれられないと思いました。すごい時代だったんだ、やっぱり。ジャズも70年代はよかった。『80年代アメリカ映画100」をみると、80年代も悪くないと、と言うよりけっこういいと言うか。

 でも今回は『70年代アメリカ映画100』には選ばれなかった『ペーパーチェース』とティモシー・ボトムズについて少し。ティモシー・ボトムズは20才の時にピーター・ボグダノヴィッチ監督の『ラスト・ショー』に主演。原作はラリー・マクマートリーという作家・脚本家で、ポール・ニューマン主演の『ハッド』(1963年)、ロバート・デュヴァル主演の西部劇『ロンサム・ダブ』(1986年)の原作を書いています。『ラスト・ショー』の原作The Last Pictuire Showはなぜかペーパーを取り寄せて英語で読みました。

 ここでのティモシー・ボトムズは主人公のソニーという少年を演じますが、彼が憧れる美少女ジェシーシビル・シェパード)や、タイトルの由来である映画館の持ち主サム(ベン・ジョンソン)など重要な登場人物の要になるような役回りでした。のちにティモシー・ボトムズシビル・シェパードに言い寄って?振られたと告白していますが、『青が散る』の佐野夏子のように、女王然とした、傲慢で毅然として魅力的でした。

   次にあのダルトン・トランボの70才の時のただ1回の監督作品『ジョニーは戦場に行った』(1971)に主演。原作もダルトン・トランボが1938年に書いた反戦文学です。

 そして詳しく語りたいのが『ペーパーチェース』。なぜか。当時付き合っていた女性と見に行ったんです。たぶん須貝ビルの地下の映画館。僕は『いちご白書』(1970)を見て。主演のブルース・デーヴィソンのかけていた細い針金のようなフレームの眼鏡が気に入って、当時あまりなかったんですが作りました。そしてブルース・デーヴィソンよりもかっこうよかったのがティモシー・ボトムズ。こちらはフチなし眼鏡。これは僕が近視と乱視で眼鏡が厚く、当時は実現しませんでした。ブルース・デーヴィソンのさらっとした長髪と眼鏡はそれはそれでよかったのですが、ティモシー・ボトムズの巻き毛の長髪はさらによかった。僕も真似?をして、大学の床屋でパーマをかけました。うまくいったかどうか?

 ハーヴァードの法律の教授が憎たらしくてうまい。ジョン・ハウスマンというイギリス系のユダヤ人。演劇・映画プロデューサーとして有名で、音楽で有名なあのジュリアードでも演劇を教えていた事もあるらしい。そのハウスマンが学識あふれるけど、傲慢な老教授(当時69才)を巧みに演じていました。ティモシー・ボトムズジョン・ハートというのですが、ミスター・ハートと教壇から質問をするときに呼びかける声の調子をまだ覚えています。冷静で傲慢で、学生が答えられないだろうと言う確信をもって高飛車に聞くんですね。その娘(リンゼー・ワグナー≒バイオニック・ジェミー)と付き合うハートは教授への復讐心もあったのだろうか。

 さて例によってpaper  chaceの意味です。現在のヒップホップではpaper(紙幣=お金)を追っかける人の意味で使われているらしいです。でも元の意味はイギリスのウサギ狩りに由来するスポーツ=ゲームで、ウサギに擬せられる追いかけられるメンバーが紙を撒き散らかし、それを犬になった一団が追いかける、そんなゲームのようです。さらに、映画の最後では、大学から来た成績通知書をジェームズは読まないで、紙飛行機にして海に飛ばす、ちょっと格好いい場面になっています。ですから映画では、成績通知書の紙≒学歴を追っかける生き方(paper  chace)をジェームズは選ばなかったという事になります。

 ティモシー・ボトムズ((1951年8月生まれ))は僕と同じ学年になりますが、太っても禿げてもいないようです。ま、それはいいんですが、2002年の冒険映画であの第43代大統領を演じていてスチール写真を見ると、ブッシュと似ているという事は、人のよさそうではあるけれど、格好いいおじいさんとは言えない、残念ながら。

 最後に。この映画はテレビ化されてシーズン3まで放送されたたって事は人気があったんですね。

 写真は偶然あのキングスフィールド教授とエレベーターで一緒になって緊張してるジェームズ。