ストリートワイズ 街に生きる

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  昨年1月に61才で亡くなった坪内祐三さんの本を読み続けています。もともと家にあった『古くさいぞ私は』(晶文社、2000)、『文学を探せ』(文藝春秋、2001)、『変死するアメリカ作家たち』(白水社、2007)に加えて、『ユリイカ』と『本の雑誌』の追悼号やデビュー作『ストリートワイズ』(1997年晶文社、2009年講談社文庫)や『慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り』(マガジンハウス、2001、講談社文芸文庫、2021)を購入して読みました。

  東京生まれの坊ちゃんが十代の頃から神田に入りびたり、早稲田の英文科を卒業、大学院の修士を出て編集者になる。福田恒存の知己を得、山口昌男の古書渉猟に付き添い、文学・文化全般の雑文を書いて亡くなったストリートワイズな書き手だった。

 Streetwiseのwiseは知恵ではなく、otherwise, clockwiseの用法にあるようにway, fashionという意味で、「街で生きるすべを持っている」という意味です。つまり、街的感覚を持った、街に生きる書き手だった。と言うのは、『変死するアメリカ作家たち』では夭逝したデルモア・シュワーツやナサニエル・ウェストなどはともかく、もっとマイナーな作家まで取り上げてくれて勉強になります。しかしどこか洋書店でみつけた資料の紹介のような部分もあって、アメリカ文学の研究者のような、そうでもないような。

  それが『慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り』の方は、慶応三年生まれ「の漱石と子規の関係、幸田露伴尾崎紅葉などの坪内さん得意のジャーナリズムと文壇との関係など面白い。やはりアカデミズムよりストリートの似合う書き手なのかなと。思想とか理念よりも、日常を生きる生活の感覚が優先する意識・世界観の人。

  それと『ユリイカ』での浅羽通明の追悼エッセイが面白い。『野望としての教養』がずいぶんと参考になった浅羽さんの「SF嫌いの矜持と寂寥」で、全部とは言わないけれどアイデアで勝負できるSFは、東京生まれの東京のストリート(古書店、飲み屋、映画館、劇場、テント、国技館など)を熟知して主戦場としていた坪内さんのストリートワイズな感覚と会わないだろうなと想像できます。

  僕もずっとミステリーは好きだけれどSFが苦手なのは、ヴィジョンやアイデアが先行するジャンルだからだ。街のディティール(歴史、匂い、佇まいなど)、登場人物の表情や言葉使いなどが歴史を背景として描写されるのが重要だと。人と人とのつながりから生まれて来る物語(葛藤、共感など)を掘り下げるよりも、さらに横につなげていく。『慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り』はまさにそうで、同年生まれの作家・学者たちに共通する匂い、また違っていてそれが面白いストーリーを生み出す事に関心を抱くメンタリティ。地底に降りるよりも、地表で、ストリートで広がる物語に関心を持っていた作家の様に思えます。