その3 中止

 

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 勝手にハイスミスの生誕100年を祝って「トム・リプリー」シリーズ、その他について書いていて、昨日『キャロル』については詳しく書きたいので「その3」を予告したのですが、前のブログ「越境と郷愁」でも2017年の学部の行事に関連して書いていました。

 時々、昔のブログを引用すると言う手抜きをしていますが、忘れていたのは少しショックでした。ショックと言えば、月末にまいた枝豆その1の芽がなかなか出て来ないのもすこし不安です。一昨年初めて枝豆にトライして、とても美味しかったので、昨年は4回に分けて植え、1か月以上楽しむことができました。味は最初の年がよかった。

 土の改良とか、連作障害とかあるんですね。枝豆のタネは地表近くに植えるので、カラスなどに食べられる事もあるとか。それで、今朝は2回目の枝豆のタネ植に挑戦。でも今年は体調のせいか、土づくりに力が入らなくて・・・かみさんによると土づくりはいつも適当なようですが。これは地味ですが重要な仕事/準備なんですが、もともとそういう事が苦手です。

 ハイスミスの未読の作品を読みつつ、またオースターに戻ります。発表の司会もあるので。

 今はきのう届いた坪内祐三の『昼夜日記』(本の雑誌、2018年)を読んでいます。月刊『本の雑誌』に連載してい物で、僕も読んだ記憶があります。で、この本は昼が上段、夜が下段、一部夜が上段にもくい込んできます。僕は下の段の方が好きですが、上段に『三田評論』の座談会「文庫本アラカルト」はとても読みごたえがると書いてあります。出席者はアメリカ文学者の尾崎俊介(氏)とあるのに目が留まりました。

 しかも前の頁にはこの尾崎さんが書いた『ホールデンの肖像』(新宿書房、2014年)と西川正身先生の『研究余滴』(研究社出版、1991年)について書かれていました。坪内さんは『ホールデンの肖像』を読んでいて、そこで書かれてた『研究余滴』の紹介を覚えていて、渋谷古書センターでみつけた『研究余滴』を買ったというエピソード。しかも『ホールデンの肖像』で確認すると、当該部分は注の小さな文字で、坪内さんがきちんと読んでいる事が理解できます。こういうのがあるので上段からも目が離せない。

 尾崎さんは2013年の日本エッセイスト・クラブ賞を『S先生のこと』で受賞していて、その時に坪内さんの知己を得た様ですので、注目していたんですね。もともと早稲田の英文の修士だったので、アメリカ文学にが詳しい。2014年に亡くなったD・バーセルミの専門家の三浦玲一さんについて惜しいとコメントしているもかなり詳しい人の証拠ですよね。

 坪内さんの『変死するアメリカ作家たち』(白水社、2007年)も勉強になりました。最後がちょっと尻切れトンボになったのが惜しいです。『慶応三年生まれの七人の旋毛曲り』も2001年度の講談社エッセイ賞受賞の力作・大作だけど、これも終わりは・・・それでもの受賞はすごいけれど。きっと編集者/作家の両輪の資質で、何か書いているとちゅうで、編集者的な視点が動いていろいろと面白いテーマを見つけてはそちらに気持ちが行ってしまうのではと勝手に推測します。

 僕もかなり早い時期から『本の雑誌』は読んでいたのですが、椎名誠たちの仲間騒ぎが少しうっとしくなって、遠ざかっていました。坪内さんの『週刊文春』の「文庫本を狙え」も読んでいましたけれど。でも今年からかな、亡くなった事を知って集中的に読みました。一緒に飲んだら、楽しいかも知れない。でも時々めんどうそう。

 奥さんが書いた『ツボちゃんの話 夫・坪内祐三』(新潮社、2021年)は悪くないけれど、もう少し掘り下げた話を期待していた。坪内さんの焦燥(そのような状態だとして)は、世間の文学離れ(活字離れか)が雑誌や本の売り上げの低下につながり、彼の得意分野である過去の文化(人と業績と書籍)について評価できる年上の人たちがじょじょに消えて行っている事などが、酒量の増加につながり健康を次第に損なっていったのではと想像します。

 でも『昼夜日記』は楽しく読みました。ここ2年ほど好きになっている大相撲についてたくさんかかれているし。でも日本の20代後半の大関はふがいない。と怒りつつ、この本をもって、ピロリ菌の除菌の検査に向かいます。