カウリーとラウリー

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 昨年1月に亡くなった坪内祐三さんのエッセイに、マルコム・ラウリーとマルコム・カウリーの区別もつかないと言ってある編集者にいちゃもんを付けるエピソードがあります。このY原という編集者、一時期才能はあったけど晩年あれて有名な作家の生原稿を売ったというスキャンダルも聞こえてきました。実はこの編集者の方が先に坪内さんにいちゃもんを付けて、それに対抗して言った言葉です。早稲田の英文の大学院も出た人なので、こう言えるのですが実は僕もカウリーとラウリー、間違って覚えていました。

 ちょっと生意気風な写真の多い6才下の坪内さんの本をいまけっこう読んでいます。

 マルコム・ラウリーの方は1909年生まれのイギリスの作家で、1947年の『火山の下』が代表作で、アルコール依存症もあって1957年に亡くなっています。この小説は1984ジョン・ヒューストン監督で映画化されています。『火山のもとで』が邦題、原作のタイトルがUnder the Volcano

 マルコム・カウリーの方は、1989年生まれのアメリカの詩人、評論家です。日本の英文科では適切な編集と解説の『ポータブル・フォークナー』(1947)が有名。第1次大戦で志願して軍の輸送車(物資、傷病兵など)の運転をして、戦後パリにもいました。この辺りヘミングウェーと同じで、「失われた世代」の精神的彷徨とボヘミアン的生活を経験し、帰国した辺りを描いた『亡命者の帰還』(1934)が代表作です。

 1920~30年代の英米の知識人が影響を受けたマルクス主義への傾倒と、ソ連(特にスターリン)への失望、にも関わらず戦後マッカーシー旋風の被害にあった点など20世紀前半の疾風怒濤に巻き込まれた人たちの一人がマルコム・カウリーでした。僕と同い年の元京大教授の前川さんが書いた『アメリカ知識人とラディカル・ヴィジョンの崩壊』でもその辺りがよく分かりました。そしてこれも有名なマシ―セン(1902‐1950)の悲劇も。僕ら的には『アメリカン・ルネッサンス』(1941)が必読で、1950年代のホーソーンメルヴィル、エマーソン、ホイットマンなどを論じていました。政治の季節の中で、優秀な文学研究者が自殺したのは元マルクス主義、同性愛への偏見、戦後の規範の混乱の中での事なのだろうと想像しますが、痛ましい。