懐かしい映画館

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 またN田君のブログに触発されて。何か自分でテーマ思いつけないようで老化か寂しいですが。

 『ウエスト・サイド物語』を見たのは1961年上映だから9才?たぶん映画好きのおふくろに連れられて行ったと思います。でも中学生の頃に見た記憶があるので調べてみると1963年まで1年半のロングランだったようです。確かに中学の時にジョージ・チャキリスが履いていたバスケット・シューズが流行った。これは背が高く足が長くないと似 合わない。Y崎君やT谷君など長身のバスケット部の友だちが履いていました。

 で見たのは、国道36号線沿いの南4条西3丁目角にある豪華な映画館、松竹座。そして日劇東宝日本劇場、南1西1)は丸井の向かいにあってこれも敷居が中高生には高かった。でもここで007を観た記憶があるのですが、2番館が隣に併設したいたようにも。

 札劇(南3西1)は須貝ビルにあり、ここの支配人が中学の時の英語の先生の息子さんだと後に分かります。英語の先生はハーフみたいな彫りの深い顔だちに流暢な発音でイングリッシュ婆ちゃんと呼んでいました。高校進学の時に西野に越して、近所でこのY田先生をみかけました。するとこれも後からですが、中学の同級生の義理のお兄さんの歯科の裏手に住んでいて、さらにお隣が高校の同期生の家だとか知ります。

 帝国座(南3西1)は条丁目は札劇と同じですが、こちらは狸小路の1丁目にありました。

 そして松竹座と同じ36号線沿いですがこちらは庶民的な2番館の豊栄映画劇場。1966年閉館とありますが、中学2年か3年の時に閉館時の無料サービスで入った記憶があります。映画館が豊平3条7丁目、僕んちは4条6丁目だったので歩いて5分くらいか。当時は東映時代劇の大川橋三、中村錦之助、そして日活の『嵐を呼ぶ男』もここで見た記憶があります。町内に床屋さん、畳屋さん、雑貨屋さん、貸本屋、銭湯などそろっていた時代でした。スーパーでなく市場の時代。つと納豆を売る呼び声も昭和30年代の風物でした。

 また国道36号線ですが、この反対側にあるのが豊平映画劇場(豊平2条2丁目)。こちらは後から元遊郭街だと知りますが、当時もちょっと行きづらい場所でした。かかっている映画も洋物ピンク路線だったようで、関心はあるけれど行けない場所の映画館でした。この辺り誤解と偏見があるかも。

 この辺りまで小中学校ですが、高校では粋がってシネマ・テークの映画を道新ホールで見た記憶が。でも期末試験の後に狸小路のニコー劇場でドロンとブロンソンの『さらば友よ』を見ました。

 大学に行くと北23条のシネマ23でゴダールではない方の『ウィークエンド』を見た記憶も。実は大学時代はジャズ喫茶と映画館をはしごしていたのですが、何故かその詳しい記憶はない。たぶん思い出しくない事も絡んでいるような。

 写真は和田由美さんの『ほっかいどう映画館グラフィティ』。読み物としてよりも資料的価値があります。今だとネットで各映画館の歴史について調べる事も可能ですが、1冊でその用が足りるのは便利でした。

 和田さんは札幌の有名文化人ですが、大学生の頃アルディ似のガール・フレンドと「スペイン酒場」で飲んでいると話しかけられました。もう酒場の取材を始めていたのかも知れません。その後も「エルフィンランド」で見かけた事も。ま。エルフィンの中島洋さんは後に「シアター・キノ」を立ち上げるので、その頃から知り合いと言うか、仕事と趣味が一致したような和田さんの羨ましい生活ですね。