モームとモンゴメリー

 

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サマセット・モームL・M・モンゴメリーはともに1874年生まれです。たまたま同時期に関心を持った作家が同い年とは。ヴィクトリア朝から近代に変わろうとする大きな世紀転換期に生きた二人でした。それもそれ以外にも共通もいくつか。でもイギリスとカナダで、男性と女性、それなりにいやずいぶんと違う人生を歩んだようにみえます。

 共通点は母親を早くになくしている事。モームは8才で、L・M・モンゴメリーは1才9か月でなくしています。二人とも結核でした。当時は多かったんですね。8才のモームには亡き病気の若い母の思い出があります。

 親以外の親戚に育てられた事。モームは10才の時に父親もなくし、父方の叔父弟夫婦に引き取られます。モンゴメリーの方は父が再婚したので、母方の祖父母に引き取られます。この祖父母に育てられたプリンス・エドワード島のキャベンディッシュが『赤毛のアン』のアヴォンリーのモデルだとか。厳しい祖母がアンを引き取るマリラ・カスバートのモデルでもあるらしい。祖父の死後、祖母と二人で暮らすのも、マシューの死後マリラと暮らすアンと似ています。しかしモンゴメリーと祖母の暮らしは楽ではなく、だからこそマリラとアンの生活は遠縁の小さな双子を引き取って波乱はあるけれど、心の通った家族のものとして描いたのでしょう。

 モームは叔父が牧師、モンゴメリーの方は結婚相手が牧師だった事。モームは叔父が俗物だったので牧師という職業にあまり敬意をいだいていません。作家(芸術家)として、宗教には関心があるものの牧師があまり神聖なものには思えない。牧師によるでしょうが、教会での説教壇以外の、日常に接する経験があったからでしょうか。

 モンゴメリーの方は『赤毛のアン』に描かれているように、祖父母に育てられた19世紀後半から20世紀にかけてのプリンス・エドワード島では、教会(長老会派)が行事や普段の習慣、教育など生活の重要な部分を担っていた時代と土地柄でした。教師となったモンゴメリーが伴侶として牧師を選んだ事に、知的生活も含めて社会階層的にも不思議はありません。

 共通点はそれくらいかな。後はかなり違う人生を歩んだ。モームの方は91才まで長生きしました。結婚して娘はいますが、後半生は17才の時に経験した同性愛者として生きた。隠してはいましたけれど。モンゴメリーの方は67才。しかも先に亡くなった夫が若い頃のうつが再発して、その介護というか同居していた妻の方も同じ病気になり、薬で自殺したと孫娘は発表したようです。結婚自体もも愛からはじまったものではなかったようでかなしい。

 1950~60年代におけるモームの日本でのブーム(と言ってもいいでしょう)とその後の読まれなさ。モームだけでなく忘れられた作家はたくさんいますが。最近は少し復活していますけど。劇作家としては日本でも舞台でも演じられてもいます。でも『赤毛のアン』の方は、すごい。1952年の村岡花子から1993年の松本侑子まで10人以上の人が訳しています。その中には北大英文の後輩の名前もありました。その後も代表的な村岡・松本の完全訳など。そしてアニメや映画・TVになり、研究本も。

 モームについてはあまり研究本はないようですが、『赤毛のアン』は1900年代のカナダの歴史と宗教とジェンダーとテーマがたくさんあります。実は小倉知加子さんの『『赤毛のアン』の秘密』(岩波現代文庫、2013年)を読んだら、アンの続編を読みたい気持ちが少しうすくなったようで残念です。

 でも『アンの青春』、『アンの愛情』、『風柳荘のアン』、『アンの夢の家』と読み継いでいます。詳細な注と参考になるあとがきを書いた訳者には申し訳ないですが、やはり1作目が1番いいです。次に3作目の『アンの愛情』がいい。島を出て大学で友人たちと1軒の家で共同生活をしながら、勉学と友情と恋愛に忙しくするアンがいいで。やっとギルバートの愛に応える事ができたし。

 この後に『炉辺荘のアン』、『虹の谷』、『炉辺荘のリラ』で完結するのかな。訳も注も訂正と追加だとしてもかなりのペースで出しています。毎刊の謝辞に出てくる(文藝春秋社の)翻訳出版部長の永嶋俊一郎って、以前ジェームズ・エルロイの論考でメールのやり取りをした事のある永嶋さんかな。出世したんですね。

 写真は公園で拾った(枝を切った)栗です。まだ熟していない、これが枝から落ちてきたら拾って来ようかと思っています。