タマゴマンとジャズ・ベース

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   いずれも友だちのブログに言及されていたのと、僕も以前ほんのちょっと書いていた人について。

 「タマゴマン」については詳しく知らないけれど、昨年中学の教科書にも載ったらしい。作者がS本先生といって八条中学の国語の先生だった。国語はA藤先生とS藤先生(書道もおしえていて、大朴という号だったような)だったので、直接習わなかったのでそこで縁は切れそうだったけれど、かみさんの実家がやっているS藤ギャラリーで先生がお嬢さんの絵と詩画展の個展をやっている時にご挨拶をしました。ギャラリーは実家の事務所と同じフロアにあってそちらに用事があって行った時に個展をのぞいたら先生もいたというような状況だった(気がします)。 

 先生は3才上の兄貴を教えたらしく覚えていたようです(兄の方を)。その後、浜松の駅で見かけて品川まで電車の中でお話しした事も。友達のブログでも書いていたけれど、小柄で鼻がすっと高くて優しいアーティストの雰囲気で、卒業後も街で見かけると先生だと分かりました。高校の時よりも、中学の時の先生の方が、自分と兄の時の先生もふくめて印象が強いです。

 高校関係では、西高の1期先輩がジャズ・ベースの伝法さん。伝法さんは30代の時に1期上の先輩がやっていた「焼き鳥J」に仕事の前に顔を出していて時々話をしました。ピアノの福居さんとのアルバムMellow Dreamは20代後半のときでしょうか。30代の時は福居さんがお嫁さんとやっていたライブ・ハウスSlow Boat to Chinaや、ホテルのバーなどで演奏したようです。穏やかな笑顔が印象的な伝法さんは50代で亡くなりましたが、病院の対応が悪かったんだよなぁとJのマスターが悔しがっていました。

 同じジャズ・ベースの川端民雄さんの西高出身、5才くらい上でしょうか。彼も2020年に53才で亡くなってしまいました。西高同期のジャズ・ギターの笹島(明夫)君は元気で札幌でお店をやっているようです。

   朝方の土砂降りがやんで晴れてきました。テニスをやりたいのですが、まだ2週間ほどできないよと昨日整形外科の先生に言われました。わきの下のコブは血腫だそうで、大きいけど時間がたてば小さくなると言われました。