ライブの勢いと粗さ

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  今回はディランのCDを何枚か聞き続けました。1975年『血の轍』、76年の『欲望』の後のライブ『ハード・レイン』。Shelter from the Stormもライブではパワーがあるというよりも粗さが気になる。もともとディランの歌唱って言葉をぶっきらぼうに投げ出すような感じでもある。それを日本の拓郎とか泉谷が影響を受けたような。つまりそれまでのポピュラー音楽の丁寧な行儀のいい歌唱に対して、自分の主張を美声ではなく吐き出すような口調で歌うスタイルです。

 もともと黒人文化だけではなく、ユダヤ人またはユダヤ教もふくめて話す~語る~歌うが続いていると思います。ちょっと考えてみても、日本でも似た様な文化があるとも思いますが。う~んと祭文、説教節、河内音頭など宗教と民衆芸能的な語りと歌と踊りが混在するような形式があったと。

 さてライブではミュージシャンは聴衆と場の影響でレコーディングでのような楽譜をきちんと再現するよりももっとワイルドでエネルギッシュな演奏になる可能性が高い。そのライブやコンサートの場ではそれでいいし、そうでなければならないとも思います。しかしそれを記録した演奏をその場とは離れた僕たちが聞くとかなり違ってきます。そのようなライブの熱さを追体験できる場合もありますが、演奏の粗さが耳につく事も多い。

  それと歌手ってレコードと同じように歌いたがらないんですね。確かに何百回、何千回も歌うので、気持ちは分からないでもない。でも聞き手としては、一番いい出来のレコードの歌唱や演奏が気に入っているので、それをライブで歌う/演奏する姿を見たいので、聞き手と歌い手の願望のすれ違いと言うか。

 写真はマーティン・スコセッシ監督のドキュメンタリーNo Direction Home(2005)です。No Direction Homeは1965年のシングルLike a Rolling Stoneの一節で「転がる石みたいに、行先もなく一人ぼっち」というリフレーン。これも英語の演習で使いました。スコセッシ監督は音楽好きでShine a Light(2008)はビーコン・シアターでのローリング・ストーンズの2006年のライブのドキュメンタリーです。

 何度も書いていて恐縮?ですが、2001年にコロンビア大学に半年いた時にアパートを探すまで隣のビーコン・ホテルに2週間いました。ホテル代は20~30万くらいしたかな。アル・グリーンのコンサートもあったようでそのポスターもおぼえています。場所はマンハッタンのアパー・ウェスト(セントラル・パークの東側)で、ジョン・レノンが殺された、そして『ローズマリーの赤ちゃん』の舞台のダコタ・ハウスが近かったです。

 スコセッシは1978年にはザ・バンドの解散コンサートのドキュメンタリーThe Last Waltz, さらに1990年のGood Fellasや1995年のCasinoのようにマフィアやラス・ベガスの物語でも少しうるさいくらいロックを使っていました。