ディランとユダヤの血

f:id:seiji-honjo:20200623053922j:plain


  何回かBSで目にする『ヴィンセントが教えてくれた事』(2014)。ビル・マーレイ主演の映画で詳細は省略。そのエンド・ロールでヴィンセントがヘッドフォンから流れていくる音楽に合わせて歌う下手な歌がShelter from the Storm。1975年のBlood on the Tracksの9曲目です。『血の轍』という日本語タイトルの「轍」という言葉を初めて知った。大学の生協でLPのジャケットを見た記憶があります。みんな卒業したのに大学に残っていた時期でした。

  そう言えばビル・マーレイってギターが好きらしくエリック・クラプトンが主催のクロスロード・ギター・フェスティヴァルで司会をしている映像を見てその事を知りました。2007年の出演時はジェフ・ベックのCause We’ve Ended as Loversのチョーキングを多用したギターと、女性ベースが印象的でした。タル・ウィンケルフェルドというオーストラリア出身の女性ベースはソロもよくて、横で見ているベックもすごいでしょうという表情がうれしそうで印象的でした。1975年のBlow by Blowに入っている曲でアルバムタイトルは『ギター殺人者の凱旋』、曲のタイトルは「哀しみの恋人たち」。日本の映画供給会社のタイトルのセンスのたいしたものですが、レコード会社のセンス(のなさ)も似たようなものだと。

  さてBlood on the Tracksの次はDesireで1曲目のHurricane、4曲目のOne More Cup of Coffeeと最後のSaraが印象的。Hurricaneはハリケーンと異名をもつルービン・カーターの無実の罪の物語。アメリカのウェルター級ボクサーは殺人罪で有罪になり収監中に伝記を出します。それに触発された若者たちが無実の証拠を探し出しカーターを救う実話もデンゼル・ワシントン主演で映画に。Saraの方は恋人への賛歌ですが、彼女とも別れます。

  ポイントは(ここまで長いというか、引っ張ってしまいましたが)One More Cup of Coffeeのアラブ的と言うかユダヤ的な曲調がずっと40年もこの曲を聞き続ける理由だと思っています。何か間延びしたような、懐かしいような中東風のメロディ。自分の出自を意識した音楽。内容は別離の歌。それは最後のSaraにおける恋人に行かないでという内容と逆説的に呼応しているようにも見えます。

 そして全体を聞き直しても、そのラップ調の歌い方、声、内容もふくめてあらためてディランの力量を見直しました。聞かせる。40年前は仲間がみんな就職して、僕は大学院に残ったのですが、勉強も人間関係もうまくいかず、教養時代と同様にジャズ喫茶と映画館の暗闇を彷徨っていましたが、違うのは酒も加わっていました。そんな時期の悩める若者が聞きたくなるような,欲望(願望)・葛藤・別れ・失意などが歌われたディランの音楽でした。

   写真は『欲望』。ディランの横顔もまだ若い。まだ35才くらいかな。このユダヤ的な細長い鼻はレナード・コーエンにも共通します。レナード・コーエンは若い時のダスティン・ホフマンにも少し似ている。若い時はハンサムだったレナード・バーンスタイン。年をとった晩年はユダヤの族長のような顔になっていました。若い時は文壇のナタリー・ウッドと言われたスーザン・ソンタグも晩年はイスラエル初の女性首相ゴルダ・メイアのようにも見えて、年を取ると若い時の特徴が後退して、出自の特徴の方が前面に出てくるのかなと思っていました。