スティーヴ・ウィンウッド再発見

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  きっかけはベスト・アルバムの『クロニクル』(1987年)。まさにウィンウッドの1980年代の楽歴を年代記(chronicle)的に追ったもので、その後再確認的にArc of a Diver (1981年)、Talking Back to the Night (1982年、Back in the High Life (1986年)と聞き直し、ベストの後のRoll With It (1988年)と1990年のスタジオ・アルバムRefugees of the Heartまで追っかけました。その甲高い声は、R&Bやソウルなどの黒人音楽の流れもあるけれど、1980年代のAOR(懐かしい大人向けのロック)におけるボズ・スキャグスと似ているような気がします。

 遡れば1960年代10代後半だったウィンウッドは兄とスペンサー・デイヴィス・グループに参加して1966年に代表曲となる「愛しておくれ」(Gimme Some Lovin')をヒットさせました。ボーカルとオルガン担当のスティーヴ・ウィンウッドは、そのソウルフルな歌声から天才少年ともてはやされ、その後はブラインド・フェイス(クラプトン)やトラフィックデイヴ・メイスン)を結成。ジミ・ヘンドリックスのアルバム『エレクトリック・レイディオランド』のレコーディングに参加してオルガンを弾いています。ツトム・ヤマシタとも共演という華々しいキャリアを積みますが、日本ではそれほど騒がれなかったような。

 ソロとなってからは、上記のアルバムから「ユー・シー・ア・チャンス」、「アーク・オブ・ア・ダイバー」、「ヴァレリー」、「ハイアー・ラヴ」「ロール・ウィズ・イット」のヒットを出しています。Back in the High Life (1986年)に収録されている「ハイアー・ラヴ」にはチャカ・カーンも参加していて、『張り込み』(1987)に使われていました。刑事(リチャード・ドレフュス)が張り込み中に容疑者の恋人(マデリーン・ストウ)と仲良くなって、キッチンで歌う場面だったように覚えていますが、確かではありません。

 ブラインド・フェイス時代の仲間のクラプトンとは2007年のクロスロード・ギター・フェスティヴァル)あたりから再共演していて、Presence of the Lord(クラプトン作曲)もやっていて懐かしく見ていました。ただこの曲は1975年の『 エリック・クラプトン・ライヴ』( E.C. Was Here)でのサポート・ボーカルのイヴォンヌ・エリマンが最高でした。エリマンはジーザス・クライスト・スーパースター』でマグダラのマリアを演じて注目された日系のシンガーです。

 写真はブラインド・フェイス時代。右からクラプトン、ウィンウッド、ジンジャー・ベーカーとくると左端はジャック・ブルース(クリーム)と言いたいですが、リック・グレッチ(元ファミリー)。グレッチはミュージック・シーンからリタイアして故郷でセールスをやっていたそうですが、43才で腎臓病で亡くなります。アルコールが原因のようです。写真によってはクラプトンに似ていたり、ジャック・ブルースに似ていました。