初めてのLPとニュー・ジャーナリズム

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 高校生の時に初めて買ったLPが長谷川きよし『一人ぼっちの詩(うた)』だった。1969年で僕は17才で、歌手は20才。3つ違いという事は兄貴と一緒だ。もちろん「別れのサンバ」が入っていて、その他もいい曲もあった(ような)。LPは処分してしまい、CDで買い直すまではいかない。でもyoutubeでたぶん⒑年くらい前の「別れのサンバ」をよく聞いています。60才くらいのはずですが、白髪もなく若々しい。ギターの演奏も声もさらに良くなっているような。ただ手は年を隠せない。僕もそうですが血管とか肌の張りなど年相応です。もちろんそれでいいけれど。

 何十年も前に(年寄りだから昔の話になります)沢木耕太郎のエッセイでインタビューをした高倉健の姿勢の良さや礼儀正しい態度のなどの描写の後で手が表す年齢について書かれていた(ような気がする)。

 ここで沢木耕太郎~ニュー・ジャーナリズムに話はそれていきます。沢木耕太郎は1979年 30才の時に山口二矢について書いた『テロルの決算』、カシアス内藤のカムバックを描く『一瞬の夏』(1982)で颯爽とマスコミに登場した若きノンフィクション作家でした。外見も長身でスポーツマン的な二枚目だったのと、テーマもテロ、スポーツなどでメディア向きでもありました。

 さて時代をさらに10年ほどさかのぼって、1965年に出版されたトルーマン・カポーティの『冷血』が67年には映画化され注目されます。ここでは小説家が実際の殺人事件を犯人への取材も含めて、事実を基にしながらフィクションの方法を使った物語にしてノンフィクション、後にはニュー・ジャーナリズムというジャンルにつながります。

 ニュー・ジャーナリズムという用語は、トム・ウルフがニュー・ジャーナリズム風の記事を集めた『ニュー・ジャーナリズム』(1973)から広まったようですが、トム自身は『ライト・スタッフ』(1979年)が映画化も含めて有名です。無頼のジャーナリス、ハンター・S・トンプソンの『ラスベガスをやっつけろ』(1972年)、これも後にジョニー・デップで映画になりました。

 ニュー・ジャーナリズムの旗手のひとりでマフィアをあつかった『汝の父を敬え』(1971年)のイタリア系のゲイ・タリーズは、「虚構を一切せず、本名や実在する通りの名前、出来事などをきちんと使用して“現実を演出”する。ニュー・ジャーナリズムは、要は、ストーリーテリングのことだ」と説明します。 確かにそうですが、「虚構を一切せず」「現実を演出する」というのは矛盾のように見えます。実は「常に虚構はある」し、書いた時に「現実を演出」しているんですね。

 客観的に書いたつもりでも、書く時に虚構化はすでにはじまっていて、現実のつもりでも演出≒虚構化しているというのが今では常識でしょうか。さて、沢木耕太郎の場合もカシアス内藤のトレーニングに密着して、それは『冷血』の死刑囚のインタビューとは違い、スポーツの汗の現場に一緒にいて取材するので読んでいて臨場感もある。

 でも小説の主観とジャーナリズムの客観性の境界が曖昧になるあたりが、しつこく言っているポストモダンと関係しています。それで興味があるのかな。小説だってはじまりは書簡体の教訓話でもあった訳で。

 さて「別れのサンバ」に戻りますが、バックの女性パーカッションもいいです。おそらく10代の時に作ったと思われる曲の歌詞は少しセンチですが、演奏は40年の経験がほぼプラスに働いたというか激しく、厳しく、そして音楽的に豊かな演奏になっていて素晴らしい。と言うのは30代から40代にかけて10年くらい音楽シーンから離れていたようで、その間は指圧師もしていたようです。

 アーティストの年の取り方について時々考えますが、俳優がいちばん難しいような気がします。ミュージシャンや画家や作家は注目されていない時期も作品を作り続けたり、技術を深める事ができますが、俳優は呼ばれてなんぼの表現者ですよね。その舞台や映画やドラマに使われない時間はどうするか。この呼ばれるまでの空きの、待ちの時間が圧倒的に長いと思います。人によっては体を鍛える。人によっては映画やドラマの原作となるかも知れない本を読む。でも多くの俳優は無為に過ごした時間が顔や演技に現れているような気がします。待つのは難しいですけれどね。

 写真は家から見える公園の入り口の2本の梅。濃いのと薄いのとでいいペアです。来る人が写真に撮っているので僕もそばに行ってトライしました。