ペン大の同期?ジョン・レジェンド

f:id:seiji-honjo:20200430054532j:plain


 ジーン・マクダニエルのアルバムを聞こうとして調べるとCompared to Whatをカバーしているミュージシャン(のべ100人以上いるそうですが、同じ人が何回もカバーしているのもカウントしているとの事)の中にジョン・レジェンドというミュージシャンがいて、CDの棚のマクダニエルのそばのLのところでレジェンドって見たな、でも知らないミュージシャンだと思いつつ取り出して聞いてみました。彼のアルバムGet LiftedにはCompared to Whatは入っていませんが、これがジーン・マクダニエルよりもいい。

 これも初めて名前を聞くプロデュ―サー/ミュージシャンのカニエ・ウエストのレーベルより第1弾アーティスト、John Legendがデビュー・アルバムをリリースと書かれていました。聞きながらジーン・マクダニエルの少しワイルドなR&Bのテイストよりも、マーヴィン・ゲイスティーヴィー・ワンダーなどのニュー・ソウルのスマートさと、不思議ですがヒップホップ・ソウルのローリン・ヒルを連想しました。後からライナー・ノーツを読むとローリン・ヒルMiseducation of Lauryn のEverything Is Everythingでピアノを弾いていたという。

 ヒップホップのビートの上で、抑制のきいたスムーズな歌い方が、聞きやすいと言えるでしょう。このレジェンドがフィラデルフィアにあるペンシルヴェニア大学の英文科卒で在学時期も僕も客員研究員としていた1996年秋から1997年春に重なる。僕は黒人男性助教授Herman Beaver先生がジャズの授業もやるというので取ったらイーデス・ウォートンの『歓喜の家』という作品でした。これはこれで良かったけれど。このビーヴァ―先生、今は名誉教授ですがまだ教えているらしいので、ジョン・レジェンドという学生がいましたよねとメールで挨拶と確認をしたいなと思いました(たぶんそこまでしないと思いますが)。

 フィラデルフィアに住み始めた頃、キャンパスでオーストラリアから来ていたユダヤ系の研究者が銃で殺されるという事件がキャンパスで起こりました。夜にキャンパスから帰るときにはエスコート・サービスというマイクロ・バスでの無料送迎があり、運転手は降りた学生がアパートの入り口に入るまで見守っていたのを覚えています。またタクシーの運転手に僕のアパートのある辺りは危険なのと聞くと、この辺は年によって違うねと教えてくれました。つまり危険/安全地域の境目だったようです。またすぐ近くの「ディノズ・ピザ」というお店の受け渡しのカウンターが鉄格子で、店の前で黒人青年が手錠をかけられた場面に遭遇した事もあります。