山本周五郎と北園克衛

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 この人情話的な大衆小説作家とモダニズム詩人の接点は、山本周五郎が1931年(昭和6年馬込文士村の住人になった時にある。馬込は今の品川の南西に当たる大森辺りらしいです。昭和初期にはまだ郊外的な環境で尾崎士郎をリーダーとする作家・詩人が住み着いて、文学談義や宴会をやっていたという羨ましい時代でした。大衆小説作家とモダニズム詩人は同時期同じ場所にいましたが、この二人の交流はあまりないでしょう。さて山本周五郎についてはまだ読み続けているので、いまは北園克衛について。

 何回も書いているけれど、28才で大学に勤めた頃、少し高い本を買いはじめました。最初はOEDを20巻、これは月賦で丸善から買ったか、英語・英文学の研究者としては当時としては普通だったが、そのあと補遺という続巻を最後まで追い切れず、退職する時に処分をしてしまいました。全巻揃っていないと意味がないし、若い研究者に譲るにしてももうオンライン版や電子媒体のみになってしまいましたから。

 さてそれ以外はふだん買えない画集などを年2回のボーナスで買おうとして数回で中断。これも続ければよかったと後悔しています。画集以外で西脇順三郎の筑摩から出ていた全集11巻(別巻1冊)を買いました。これは北大の教養部の図書館にあったのを筆写したりもした、英文科に入るきっかけでもあった詩人・英文学者でもあったから。でも買った後はそんなに読まなかった。そんなもんかな、買う事に意義があったのか。1冊5000円前後もしたのに。西脇の弟子で慶応の教授だった鍵谷幸信が一時期『スイング・ジャーナル』に面白いレビューを書いていました。後からそれほどジャズに詳しくなかったと言われましたけれど、その文体はけっこう刺激的だった。

 さて西脇よりも20才くらい若い北園克衛の全詩集(沖積社、昭和58年)もあります。限定350部でなんと1万8千円。こんな高いのをよく買ったものだ。でも買った事に満足してあまり読まなかった。なぜ興味を持ったかというとシュルレアリスムの詩人とされ、一行に一語の詩だったり、詩行が図形をかたちづくる詩など、頁に書かれている詩を絵的に図形的に読める事が新鮮でした。e.e.cummingsの影響を受けたようなヴィジュアル・ポエトリだったんですね。

 また北園克衛は二科展に入選するような画才にめぐまれ、グラフィック・デザイナーでもあり装幀家・挿画家としても活躍した。詩人としては戦前のモダニスムを清算する戦後詩のリアリズム的思傾向のため北園克衛の出番は多くなかった。しかし充実した詩を書き続け、同時にデザインの仕事から建築家やデザイナーからも尊敬され、多方面にわたり活躍を続けたと言えます。

 西脇も絵を描くのですが、北園の方が本格的かな。このような多彩な、少しオーバーに言えばルネッサンス的な才人って格好いいですね。一般的に知られていない事もふくめて。

 北園克衛は昭和53年に75才で亡くなったが、僕は26才で大学院/怒涛の時代だったのでよく覚えていない。ただ西脇順三郎、瀧口修三、シュルレアリスムアヴァンギャルド、パウンドなどの高踏的でモダンでぺダンティックで、リアルでない現代詩の世界に憧れていました。