roaring twentiesと親不孝

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 roaring twentiesは「狂乱の1920年代」ではなく、「混乱の20代」の意味です。

 40年前に北海学園に赴任した時に、大学新聞か図書館のニューズ・レターにも書いた記憶がありますが、なんとも大変だった20代のつらい記憶。

 学部(英文科)の時はいちおう勉強もして、大学院の試験もわりすんなり通りました。外部からの受験者もいたり、同期や先輩の受験者も落ちたりけっこう難関(4倍)だったようです。この辺り少し自慢が入っています。

 で大学院ですが、あまり明確な志望理由もなく入ったせいか、また失恋?のせいか、面白い場所を見つけたせいか、たぶんどれもそれなりに影響した複合的な理由で、2年の修士課程に4年もかかりました。大学院では初めてのケースのようで、その後2年ではなく3年で修了する後輩も増えたとか。でもそれはちゃんと修士論文を書くために1年長くいたようです。僕の様にただただ除籍間際までい続けたのは違います。27才で修了して28才で北海学園に赴任しましたが、しばらく除籍になるかも知れないという悪夢を見続けました。

 修了延期の理由の一つである失恋はともかく「面白い場所」とは「エルフィンランド」という飲み屋で、札幌の映画や音楽などが好きな若者が集まる場所で、ここは楽しく勉強になりました。規模は小さいけれどある時期の新宿のような知と痴の乱舞する混沌とした場所だったような気がします。店主は北大映研の先輩(僕もちょっとだけいました)で、今は「シアター・キノ」を主宰するN・Yさん。今はある事がきっかけで疎遠になってしまいましたが。

 さて親不孝の方は、僕の前に兄も大学卒業後は司法試験で就職なし。中卒(現在では高卒相当でしょうか)の父親は二人の息子が大学も出て、ふらふらしている(ように見えたのでしょうか)ので相当不満だったようです。母の方はその世代としては高学歴だったので、息子たちの大学後の進路にある程度理解していたようでもあります。

 いずれにしても二人ともほほ同時に就職と司法試験に合格するちょっと前に脳梗塞で倒れて、不肖の息子たちの一応の結果について、どうもちゃんと認識していなかったようなのが残念でした。倒れたのが66才で、僕はその年を越えてしまいました。父の時代は30近くなって戦争に駆り出され、シベリアに2年もいたので今の僕らのような平和の時代に暢気に生きてきたよりも、体を酷使したのだと思います。

 母親の方は、弁護士と大学教員の息子たちに満足していたようです。金に縁はありませんが。

 こんな事を思い出すのも、退職したり、墓の新築を進めたり、過去の事を思い出す機会が増えたからだと思います。ま、振り返る時間と暇がたくさんあります。

 写真はしばらく飲んでいたカミュ+最近トライしているアルマニャック。食後にかみさんに隠れて2階の書斎でちびちび飲んでいます。