反抗の身振り

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 昨日1970年代の内外の俳優の無表情の演技について少しふれました。

 無表情の演技の意味については「越境と郷愁」(オリジナル?)でもロバート・ミッチャム演技に関連して言及しました。その時は、演技のミニマリズムというか、表情の小さな振幅で様々な感情を表現し、同時に見る者の想像力を喚起するというような事を言ったような気がします。

 でそれを単独の俳優の演技ではなく、50年代と60年代を比較して考えてみました。

 1950年代のハリウッドでは、マーロン・ブランドジェームズ・ディーンポール・ニューマンなど若者の反抗をふてくされた拗ねた表情と投げやりな身振りで表現していました。日本のショウケンや若い時の水谷豊などは明らかにその影響を受けていたと思います。しかもそのような態度は今の若い人にも見られるので、世界や社会に違和感を感じる新参者=若者の普遍的な身体表現なのかも知れません。

 で1960年代は声高な異議申し立てが世界的に発生した時代ですが、一部の映画の演技で上記のような無表情の抵抗と破壊が表現された事に興味を感じます。

 それは1970年代の内向の世代というか、世の中の事はともかく身の回りの世界にのみ関心を抱くミニマリズムの文学が登場します。それは騒乱の60年代への反省もあり、思ったよりも世界が変わらない事への空しさもあり、大きな物語(政治や宗教、制度)よりも小さな物語(自分と家族と友人との世界)をまず考えようと。

 その成果として1980年代はミニマリズムの文学やベトナム戦争を描いた映画が登場します。アメリカが初めて負けた戦争のトラウマを整理するのに結構時間がかかりました。

 で、また、今さら「偉大なアメリカ」を標榜するのが如何に時代錯誤かを認識しない、実業家出身のリーダーの歴史認識の欠如というか、単に常識のない発言にいい加減うんざりしますね。それを支持する人たちにも。

 昨日は墓参りに帰省した友人を迎えての大学時代の飲み会。その前にデパートの楽器屋さんに寄ってギターを眺めていました。エレガット(電気で増幅できるアコースティック・ギター)の演奏もまだ進んでいないのに、エレキ・ギターを考えています。Gibson Les Paul Standard Mahogany Top Limited Run 、24万?ネットで19万のもありました。性能はよく分からないので、見た目で選びます。シンプルでかっこいい(と思う)。同じ20万の電動アシスト自転車の購入がペンディングしているので、どう調整するか。

 9月の東京での学会に行こうと思っていますが、実は神田の楽器店にも行ってみたい。