アカデミックで世俗的な話題

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  シェイクスピアの「ファースト・フォリオ」(First Folio)と言う名前で知られる戯曲全集の初版本がニューヨークで競売にかけられ、主催したクリスティーズ(Christie's)の予想価格500万ドル(約5億円)をはるかに上回る997万ドル(約10億5000万円)で落札されたらしい。これは文学作品として史上最高額となるようだ。

 そもそもフォリオとは何か。45年前に大学院のシェイクスピアの授業(ゼミ)でT先生(80代後半で存命)が教えてくれた時の声の調子も印象的だったのでよーく覚えています。フォリオ判とは二折り判の事で、印刷された紙を一度折り、二葉で四頁とする本の形態です。

  ファースト・フォリオ は、上シェイクスピアの戯曲をまとめて出版した最初の作品集で、正式な題は『ウィリアム・シェイクスピア氏の喜劇、史劇、悲劇』(Mr. William Shakespeares Comedies, Histories & Tragedies)。当時の価格は1ポンド(今日の100ポンド、180ドルくらい)。 36作品が収められた「ファースト・フォリオ」は、シェイクスピアの死から7年後の1623年に、友人らによって出版され、英文学で最も優れた作品と評されることが多く、『マクベス』や『十二夜』など、この全集がなければ失われていたかもしれない重要作品も収録されている。

 研究上シェイクスピアとは無縁ですが、やめる少し前の2015年くらいに人文学部公開講座で『マクベス』についてポランスキーの『マクベス』や、伊坂幸太郎の『あるキング』にふれながら発表しました。このブログでも『あるキング』について雑誌掲載時、単行本版、文庫版などのテキストを比較した事が懐かしい。

 シェイクスピアがピアスをしている肖像画が昔からけっこうヒップで格好いいなと思っていたミーハーです。

時代小説から食べ物小説へ

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 今年の始めから時代小説~女流時代小説と読み続けて来ました。

 女流の時代小説は口入れ屋(職業紹介)や古着屋、食べ物屋、髪結いなど、それまでの男性の時代小説家が取り上げない職業・仕事・世界を描いて面白い。

 半年以上で3日に2冊の割合で読んでいるので、120~150冊くらい読んでいるのですが、どうも読み流していて感想はあるのですが、ブログに書くには至らない。書く意味のあるジャンルだとは思いますが、書けない。

 時代小説の食べ物屋から現代の食べ物屋さんの話に食指が延びています。渡辺淳子さんの『東京近江寮食堂』、その続編と続々編。東京にある滋賀県の運営する寮とその食堂の物語。

 写真は久しぶりのウォッカ・ライム。

 そう言えば先ほど読んだ友だちのブログに出ていたラーメン(と居酒屋の)「一徹」。たまたま再来週かみさんの姪が東京から帰って来るのでそこに集まる事になっています。「アイス・ドア」~「くらきじ」ともう1軒くらいをはさんで「一徹」になった思う徹ちゃんのお店。そう言えば「ミツヤ」のY波とか大学時代のA田とも行った。今度行ったらN田君兄弟も来ているんだってと話してみよう。

スティングのNothing Like the Sun再び

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  シェークスピアソネット130からのタイトルを持つスティングの1987年のソロ第2作目。「私の恋人の瞳は太陽には及ばない」という否定的な詩句で始まり、何で恋人を貶すような詩なのかと不思議に思うかも知れない。さらにサンゴの赤、雪の白さ、バラの香りにも及ばないと言い続け、最後にそのような自然の美には及ばないけれど、地上の女性の中では最高なんだというちょっとひねくれたレトリックです。

  1987年はちょうど父が74才で亡くなった時で、ちょっとセンチメンタルな曲調の曲も多く、少し偲んで聞きました。スティングも亡くなったにお母さんに捧げるとアルバムのノートに書いています。スティングらしい歴史や社会の抑圧や自由について聖書や古典を引用した文学的な歌詞が多い。

  1曲目の「ザ・ラザラス・ハート」は聖書でキリストが甦らせたラザロをイメージした曲。カセットテープのCMに使われていて、本人も登場していたような。

 11曲目の Little Wingはもちろんジミ・ヘンのナンバーだが、ジミの曲集のアルバムも出したギル・エバンスのアレンジ。Little Wingはクラプトンの『愛しのレイラ』でのヴァージョンが一番好きですが。

 6曲目のFragileが好きで、スウェ―デンのジャズ・ピアノのスヴェンソンの演奏についてブログで書いて、本にも入れました。その後も歌手や演奏家のカバーを聞いています。イタリアのロベルト・オルサー、アメリカのレイチェル Zのピアノなど。自分でスティングの楽譜集を買ってみましたが、難しい。でもイントロ部分のギターを何とか指で覚えたのが昨年前半でした。

 まだポリスの頃に来日して、「夜のヒット・スタジオ」で演奏していた若き日も懐かしい。

 後から自分のブログで検索してみるとこのアルバムについては何回か書いていました。でも少し違う視点やコメントもあるのでいいかな。

紅葉と自転車

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 福井にある五天山公園に去年初めて行きました。行きは歩いて45分くらい、帰りはバス。今回は二人とも自転車で。行きは迷いながら言ったので30分くらいか。まっすぐ行けば20分。帰りはほとんど下りなので10分。

 去年より早い時期に早い時間に行ったので、寒くなく快適でした。中年~高年の人たちがパークゴルフをやっている。景色は一番高いところよりも中くらいの高さからの方がいいのは、まじかに見えるからだろうか。あとこの公園は遊具などの物を置かない空間が広いのが心地よい。

 昨日はふだんよりも少し早めにテニスを始めて10時半に戻り、中学の友だちとランチに出かけるかみさんを見送る。その後シャワー、ビール。家に人がいる時にはかけられない音量で本田竹広のNatural Tranquility(Salaam, Salaam所収)を聞く。50才ちょっとで脳梗塞に倒れ、60才で亡くなったピアニストの29才ころの作品で愛聴しています。昔2階で聞いていたら下にいた母さんがいい曲ねと言っていたのを思い出します。

 さて夕方、友だちとのランチとおしゃべりが終わったかみさんから夕方外で食べないかとの連絡が入り、街へ。すすきのの焼鳥屋「Fとり」があるイタリアンのシェフが仕事帰りに行くのをテレビで見たそうで入ってみました。味はまぁまぁでしたが、清潔感がなくて居心地が良くない。残念な久しぶりの外食でした。

 そう言えば、Natural Tranquilityを大音量で聞いている時に、町内会の班長さんが赤い羽根募金の集金に来て、あわててステレオの音量を下げる一幕も。

ランチと自転車とビール

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 金曜日は朝テニスをやめて、発寒の中華のお店に自転車で出かけてランチをする事にしました。

 発寒神社のそばの「あおやま」は4年くらい前にかみさんと京都に旅行をした帰りに行きました。千歳から小樽行きの快速エアポートに乗って、琴似で降りないで発寒駅まで行き、前から行こうと思っていた中華のお店で夕食を食べて、そこからタクシーで帰ろうと企画。

 スーツケースを引っ張っていきました。グランド・ホテルの中華(黄鶴だろうか?)でシェフをやっていたという料理人は、後からとお嬢さん同士が友だちで家族ぐるみの付き合いをしているらしいと「寿司 根がみ」の大将から聞きました。

 家から歩いて30分ちょい、自転車だと10分ですがテニス・コートによって仲間に挨拶をして、11時半の開店に合わせる。1000円のランチにビールと紹興酒1杯。帰りは酒酔い?運転になるか。カウンターの向こうでは常連らしき人がビールと紹興酒をデキャンタで注文していたので、負けじとこちらも紹興酒のお代わりを頼みたかったけれど、我慢しました。

 味は前程でなかったけれど、接客がよく、気分よくいられました。

二人で

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 昨日の午前中は風も強く雨も時々降って、テニスは早々にして。仲間も言っているけど毎日のようにやっているので一日くらいできなくてもそれはそれで休養になるし。週6日という週もあってこれは少しやり過ぎかなとも。

 午後はかみさんの自転車(実はお姉さんからの借り物)のタイヤの修理も兼て西野の西公園に行ってみました。小高いところからの景色がいい。近くの五天山公園もいいけど、ここもいい。

 その後タイヤを修理してもらって、うす暗い夕方ゆっくりと走って帰宅。この西野の自転車屋さんは修理がメインのようで、居職の人に特有の少し癖があるけれど、技術には自信があるようで説明も細かく、信頼ができそう。

 新品の電動アシスト自転車はだいたいは満足していますが、見た目スリムなバッテリーは充電をまめにしなくてはいけない。すでに予備のバッテリーも注文したので、それも充電して遠出にはリュックに入れて行こうと。でもあまり遠出はこの季節には向かないかも。

説明しない ≒ 説明できない

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   昨日は10日ぶりに街に買い物兼ランチ。

 エッセイを書いた『フォークナー』22号の支払いに書店に振り込み。秋のスポーツウエアを見ようと思って行った池内が工事中。トイレに行った丸井で秋物セールで3割引きなのでフード付きのセーターを色違いで2枚買ってしまった。コーヒーを買って、桂和大通りビルの「チャイナ・パーク」で日替わり定食を注文しました。

ベストの組合せのレバニラ炒めとハム玉はもう1年半以上食べていませんが、青椒肉絲とハム玉が昨日の日替わりだったので。でも650円と安いランチなので牛肉ではなく豚肉、かに玉ではなくハム玉。でも味付けがいい。もちろんその前にビールと餃子(+紹興酒をグラスで)。

  新しい首相が官房長官の時の記者会見の対応を信頼できるあるテレビ番組のコメンテーターが「門前払い」と評していました。つまり説明しないで一蹴する。今回の学術会議の選考でも「法律に則って適正に実施した」とのみ説明。学術会議は税金で運営されているので任命権は首相にあり、拒否権もある。しかし形式的な権利を行使する場合でも、前例に従わないで拒否する場合には説明をしなければならない。

  2回も政権を放り出した前の首相の「ごはん論法」と同様、説明を嫌がるのはできないからだと思わざるを得ません。確かに政権の批判をする学者は煙たいかも知れないけれど、御用学者だけで構成される学術会議なら首相は裸の王様になってしまい、国民にとっては税金の無駄遣いになってしまう。批判を門前払いするのなら、コロナを甘く見てコロナに罹った大統領とあまり変わらないか。いや、それほどひどくはないと思いたい。