途上のモンクも面白い

 ブルー・ノートのGenius of Modern Musicのモンク版vol.2を聞いています。1947年と1951年・52年。パーソネルはドラムスにブレーキ―トローチ。ミルト・ジャクソンのヴァイブもあり。録音があまりよくないせいか、いつものゴージャスなミルトに聞こえないけど。

 ライナー・ノーツには「モンクの個性横溢」とあり、アマゾンのレビューでは「モンクは最初からモンクだった」ともある。僕にもモンクらしさは感じられるが、もっと後の練られた、間の多いモンクよりは普通のピアノと後期のモンクとの中間に聞こえます。つまりモンクだけど、途上のモンクでもあると。

 後期の訥弁のモンクよりは、スムースです。でもフレーズとか、トリルがモンクらしい。ピアノのうまい子供のような。遊戯性というのもモンクの特徴を考える上で重要な気がします。モンクは模索しながら、それも楽しみながら、モンクらしさを作っていったと言うか。

 どうもビバップの最中のモンクは、黒人音楽のルーツとも言えるブルースやゴスペル、ジャズのラグタイム的な継承を無意識に模索していたのではないか。それを西欧的な楽器ピアノの非西欧的なアプローチ≒黒人音楽の継承という人もいるようですが。

 でも失礼だけどモンクには意識的と言うのは似合わない。でもきちん自分の感覚で正しい道をたどっていたと。つまりビバップのテンポとアドリブの展開の中で、音楽の構成とかハーモニーの構築の方向に向かったいたのでは。その中で調性とかリズムを壊したり、止めたり、そして脱構築するような、両義的な向かい方をしていたと考えると理解できるような気がします。

 それはモダン・ジャズをという新しいジャンルをメタ的に推し進めていったとも言えます。モダン・ジャズ創生の現場にいて、そのジャンルに「ついて」=メタ的にも俯瞰的にとらえてもいたのだと。つまり「その現場にいて」、「その新しい場について考察する」という両義的なスタンス。