『ウサギ』と『逃走論』

 アップダイクの発表から「改訂」の話がらみで、レイモンド・カーヴァ―再読に少し行きました。でもその前に『走れ、ウサギ』に関係して、研究会から懇親会に向かう途中でO先生が『逃走論』(1983年)も関係しますよねと話していました事もあって。

 その前にブログでアップダイクとエミネムについて書きましたが、Rabbit Runについて新しい情報がみつかったので、それから。

 アップダイクの『ウサギ』4部作の序文でも1939年のノエル・ゲイとラルフ・バトラーが作ったコミック・ソングRun, Rabbit Runについてふれていました。

Run, Rabbit Runは農場で飼われているウサギが、ラビット・パイに使われるという事で逃げ出す。コミックなような、でもブラックでもある。それでティム・バートンの作品などホラー、ゴシック的な映画に使われ続けています。

 そして2年前のインタビューで浅田彰が『逃走論』発表40年?について回顧していました。70年代に全共闘世代を代表とする左翼的な運動とイデオロギーが行き詰まり、連合赤軍事件が起きた。「革命家としてのアイデンティティー」に固執しないで「逃げる」道を選んだ方がよかったのにと。

 奇しくも先月、50年近く「逃げ続けた」東アジア反日武装戦線のK容疑者が亡くなった。逃走/逃亡の日々がどのようなものだったか知る事はできないが、気楽な人生だったとは思えない。それにしても仲間同士でゲバルトを繰り返すよりはよかったのだろう。でもそれにしても逃げ続ける日々とは・・・

 「走って」「逃げる」事の意味は重要だと思います。システムや制度の柵(しがらみ)にとらわれる事なく、自由に向かって逃走する。でも今度は70を超えて、何から「逃げる」のか・・・

 写真はデュフィの「グッドウッドの競馬」(1935年頃)です。「走る」という無理やりな共通項で。