ネガティブ・ケイパビリティと文学

 最近ときどき耳にする「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉。

 答えの出ない事態に耐えうる能力を言うらしい。Negative capabilityと英語でいうと「消極的能力」、「消極的受容力」、「否定的能力」という訳語が考えられる。でもnegativeと capabilityが素直に結びつかない。と言うのはcapabilityはnegativeではないからです、普通は。そこを逆手にとったレトリック。

 実はロマン派の詩人キーツが言ったようです。やっぱり文学者の表現だった。

 1817年弟宛ての書簡で「特に文学において偉業を成し遂げた者、なかでもシェイクスピアがとてもたくさん持ち合わせていたのがネガティブ・ケイパビリティ。短気に事実や理由を求めることなく、不確かさや、不可解なことや、疑わしい状態でもそこにとどまっていられる資質」と言っている(らしい)。

 えっと、「ネガティブ」≒不確かさ/不可解なこと/疑わしい状態を回避したり「否定」しないで、そこに踏みとどまる事ができる。そうです。現実は理想的な状態とは程遠いし、確実な事、理解可能な事、すっきりした明快な事の方が少ない。そのような混沌とした、よく分からない事があふれている現実を直視する能力だとも言えます。ま、直視するのがいやなら、そっと横眼で眺めるもいいかも。

 このネガティブ・ケイパビリティの説明を調べたり、書いたりしていると、これって正に「文学」そのものという感じもします。文学って、はっきりしない感情や、人の心の揺れや、社会が生成している不安定な状態を描くのだと。

 「頑張らなくていい」とか「訂正する力」などのこれまで社会で常識/普通と思われていたパラダイムに異議を申し立てる気分とも共通するかも。

 もう少し展開しようと思っていたのですが、力尽きて・・・

 昨日は札幌市図書・情報館(市民交流プラザ内)に行ってきました。パソコンが使えるworking space以外にもreading areaもあって、そちらも使えそう。低い音で流れている音楽が少しじゃまか。

 アップダイク紹介本Cambridge Companion to John Updikeを眺めていて、immortality(不滅)を immorality(不道徳)と読み違えた。これは大きな間違いですが、実は無意識にアップダイクの作品は日本人の感覚からするとアメリカ人は immoralだと感じさせる事から来ているような気もします。つまり日本人とは違うアメリカ人の過剰とも言えるような性への執着について小説を読んで感じていたからです。白人とアジア人の体力の違いのようにも。

 数日前の大雪。雪かきにくたびれました。と言うか、雪かきが終わるたびにご褒美に?ビールを飲んで疲れた。