これはよかったけれど、憲法第24条1項の「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として」について、「判決は、1項の『両性』という文言だけでなく、目的も踏まえて解釈すべきだと指摘。」と朝日新聞の3月15日の朝刊1面に報道されていました。
「~だけでなく、~も踏まえて」という"not only but also"にも似た表現は、「両性の合意」についてここではふれられないので、「目的」の方に注目したと推測しました。
つまり「違憲」=「憲法に反する事」にのみ注目されているように見えます。確かに判決が今までよりもずいぶんと進んだ判断かも知れないけれども、憲法が「「婚姻は両性の合意のみに基づいて」としている点について、スルーしているような気がしてなりません。憲法が何か絶対的な、不可触なもののように考えられている。そんな憲法自体が見直されるべきではないのと思ってしまいました。
確かに僕も50年前は「両性のみ」に疑問を持ちませんでしたけれど。そんな遅れた?僕でさえも「同性婚」について理解しつつあるのに、憲法はもっと遅れている。そしてその事をこのような重要な判決でもふれないのは、気が付かなくてスルーしたのではなくて、それはふれていけない事として意図的に?スルーしたのか。
憲法を変える=憲法改正というと、平和憲法といわれるその根幹でもある、不戦≒自衛についても一緒に議論しなければならないからかな。
最近ボブ・ディランに目覚めて?けっこうアイフォンでも、Boseでも聞いています。
My Back Pages, All Along Watchtower, One More Cup of Coffeeなどなど。
調べると20枚近く持っていました。アメリカ音楽について授業をするときにでも買ったような。バックバンドだったThe Bandと一緒よりも、Greatful Deadとのライブの方がいいようにも聞こえます。NHKの「アナザー・ストーリー」では、ディランのニューポート・フォーク・フェスティバルでの反響とノーベル賞に絞った構成とインタビューがあまり参考になりませんでした。残念。
でディランなら同性婚や憲法について、どう言うだろうか。差別と平和と自由の実現の難しさを歌った"Blowin' in the WInd"のように、「答えは風に吹かれて」≒ すぐそこにあるのになかなか手に入らない。