文学って何?

 3年前の3月の退職時に最終講義っていうのをやりました。その時の質問に「文学とは?」というのがあって、これはあまりに大きな問題なので、またはそれをコンパクトに答える能力がなくて、「ここで答えるには大きすぎる問題なので」とか言って逃げてしまいました。

 でもそれが気になって、トラウマとは言わないまでも自分の宿題になっています。仮にも文学・文化研究を専門としている者としては恥ずかしい。

 で、少しづつ自分なりの「文学」について考えています。質問した人が歴史畑の人なので、歴史なら資料の中の事実や客観性を重視するのに対して取りあえず「言葉による想像力の所産」と定義します。おそらく歴史家も想像力を働かせて既存の史実と史実の隙間を埋めるような作業もあるとは思います。でも文学は「言葉を使っての想像力によるフィクション」なので、想像力の占める位置が圧倒的に違う。

 すぐジャズについて考えてしまいます。ジャズは自由と即興だと取りあえず言ってしまいます。即興はクラシックにもあり、ロックにもありますが、ジャズは即興がそのレゾン・デートルなわけで、重要度が違う。それと自由。演奏者の個性で、まある程度の制約はあるけれど自由に演奏できる。自由と即興。これがジャズの肝(きも)。

 すごく小さいまとめで「文学とは想像力と言葉で作られた自由な文学形式」。う~ん、小さ過ぎ、足りなさ過ぎか。でも、自由に守られた想像力は創造力に飛翔/転生すると思います。でもこれってジャズに近い。それと文学≒小説と考えています。詩や演劇などはちょっと横に置いて。

 これがスタートで、半年か1年くらいかけて考えたいので、今のところはこれで勘弁して頂きたい。

 写真はロレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』(1760?)。英文学史では最初の小説と言われるサミュエル・リチャードソンの『パミラ』(1740)に遅れる事20年ですが、虚構性を駆使したメタ・フィクションのような物語

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としてはこちらが嚆矢です。これは本当に自由です。『パミラ』は印刷業者でもあるリチャードソンが、もともと代書屋的な事もしていて書簡形態の小説を書けばと言われ書いた、お手紙文例集+道徳的な行動規範という小説を書きました。つまりかなり実用的。

 それに対して、『トリストラム・シャンディ』の方は、主人公が両親によって仕込まれる?ところから始まり、横路にそれまくる、メタ・フィクショナルな小説。こんな面白くも難しい小説を100年前に漱石は日本に紹介しました。すごい事なんです。