13日の金曜日そして十五夜

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 昨日の朝、テニス・コートに行こうと準備をしてると大学時代の友人W君からの電話。なんとA君が死んだと。

 W君とA君の話は共通する友人の挿話をこのブログにも書きました。

 今日のこのブログは親友の突然の死という事で、今まで時々書いた事と重複しつつ少し長くなりそうです。

 北大文類に一浪して入学した時に、第2外国語にフランス語を選びました。英語が必修で、当時はドイツ語を第2外国を選ぶ学生が多く、次いでフランス語だったでしょうか。

 このクラスが高校のホームルームに準ずるような役割を持ち、担任がいて教務上の連絡や学生同士の交流の場となっていました。英語とフランス語そして体育はこのクラス単位で、他の大講義の授業もクラスのメンバーが近い席に集まるよう感じでしたね。

 最初のコンパの会場が教養部の生協2階にある教職員食堂でした。もちろん今とは違い当然のようにアルコールあり。それでけっこう飲んだA君を家までもう一人の友人と送っていく時に、駅前の交差点の赤信号を無視したA君を守ろうとして、教科書をなくし、足にけがをしました。何か、その後の二人の関係を象徴するような出来事は今でもよく覚えています。

 2年の前半まで教養部で、後半から学部移行。その記念に2年の夏休みの終わりに北大の支笏寮で1泊の宴会をしました。担任のY先生が面倒見のいい先生で、他のクラスにはないつながりがあったような気がします。

 余談ですがY先生は3才上の兄の時も担任で、大学紛争の時期でもあり、その点でもお世話になったのでした。詳しくは言えないけれど、ノンセクト・ラジカルのデモでつかまり、普通なら2泊3日くらいで帰されるところ、なぜか完黙(完全黙秘)を断行して1か月も拘置所にいました。出てきた時はやつれ切っていました。

 さてA君は法学部、僕は文学部で学部は違いましたが、5人くらいの仲間と飲んだり雀荘に集まったりしていました。僕は麻雀ができないので、後ろで見ていただけですが。

 卒業後はA君は市役所、僕は大学院、他の仲間は東京などに赴任しましたので、札幌に残った二人で飲む機会が多かったのでした。これも最近のブログで書きましたが、大学院時代は荒れて?いたというか、家に帰ってから出直して飲み続けるとか、はしご酒が高じて、明け方サラリーマンが出勤するのを横目に、コンビニでウイスキーを買って封を開けて飲みながら友達のアパートに向かい、飲み直した事も覚えています。

 一番ひどかったのは朝起きると拘置所にいた事です。酔って飲み屋の階段から落ちて病院に運ばれ治療を受けた後も暴れたか拘置所に送られたそうです。10本の指紋を取られ、もう来るじゃないぞと諭されて帰宅しました。頭は6針くらい縫ったかな。

 A君に話を戻すと、札幌市役所で北大法学部卒だとけっこういいところまで行けそうに思いましたが、組織や上司に反抗的な気質と、二日酔いが多いなどの勤務態度でそこそこで終わりました。組織での出世よりも、本人の持てる能力をもう少し生かしてくれればと歯がゆい思いもしていました。

 ただA君は友人にも、飲み屋でもAちゃんとして親しまれる愛すべきキャラで、そこは少し羨ましくもありました。

 彼は大学時代は僕と同じ60キロ台前半でしたが、次第に大きく?なって一時は100キロを超したことも。ダイエットしても90キロ前後。それとヘビー・スモーカーだったせいもあってか、3年前に呼吸不全で救急車で運ばれ、2カ月入院していました。その後は煙草もやめましたが、体重はかわらず歩くのもやっとで、一緒に信号を渡るときも青信号の時間内にギリギリ渡り切れるかという感じでした。ですから、運動不足もあり、関節のみならず心臓にも負担をかけ続けていたのでは思います。

 今回も実は奥さんのお姉さんのお葬式で東京に行く時から体調が思わしくなく、途中から車いすだったらしく、滞在中に呼吸が苦しくなり入院し10日後に最終的には肺炎で息を引き取ったのでした。

 連絡をくれた友人はたまたま東京に用事があっていたので、A君の奥さんからの連絡を受けて、昨日遺体に対面し、明日は荼毘に付されるのにも付き合うようです。

  タイトルは訃報があったのが13日の金曜だった事と、前の晩に家から一五夜の前の月を眺めたのですが、後からあの頃A君が逝ったのかなぁと思ったからです。

 写真は47年前の支笏湖でのもの。A君は前列の右から3番目。僕は後列の真ん中です。眼鏡をはずしています。みんな若い。右に立っている背の高い人がY先生。体育の先生でバレーボールの選手だったとか。

  昨年このY先生を囲んで(時々囲んでいます)クラス会をしました。先生は87才かな。僕らは66才から68才。15名くらい集まり、45年ぶりに会った旧友も。青年(少年か)からいきなりおじいさんになっていて、ビックリしました。それは昨年9月のブログに書きました。

 A君とは、すぐに酔っぱらうのでゆっくりといんろんな事が話せなかったのが残念です。いいやつだったけど、・・・だった。・・・だったけど、いいやつだった。と錯綜する思いの中で、50年近い交流をああだこうだと思い出しています。で、時々涙が出てくるんですね。