文学研究って・・・

 アップダイクについて勉強しています。

 勉強と言いましたが、研究の発表の司会の準備です。研究と言うのは普通は作品のテーマについてが多いです。例えば、1950年代のアメリカの大都市またはその周辺(郊外)

に住む青年の恋、結婚、家族、そして離婚など。今だとジェンダーの問題。そして昔からある人種の問題。

もう少し社会的に広げると政治や戦争の問題など。そうだ宗教も重要な主題です。

 でもそういうアプローチではなくて、作品そのものを研究するテクスト・クリティシズムという方法も

あります。何度も言っている1960年代にフランスのロラン・バルトが提唱した「作者の死」。この衝撃的

な表現は、従来の作家中心の作品読解への決定的な決別?でした。

 それは作り手(作家)の専有物だった作品を読者/研究者が自分のものとする大きな契機だったのです。

作家の作品に対するコメントや、作家の時代背景などを知らないと作品について語れないというところか、読み手が自由に作品を読解できる。それはかなり画期的な方法の転換だったと思います。

 さらにテクスト生成論となると少し(かなり?)難しい。僕もうまく説明できません。が、テクストを固定したものではなく、流動的に生成する過程としてみる。えッ、何?と思うでしょう。作家が発表した作品を訂正するような例について考えると分かりやすいかも。発表したテクストAは、少したって訂正すると、Bという作品になる。それは固定したテクストとではないと考えられます。流動するテクスト。生成するテクスト、と言えるのかな。

 訂正する理由は、誤植であったり、編集者からのアドバイスで変えた表現を元に戻す。または作者が考えを変えて訂正するなど。つまり単純なミスの場合もある。他や外部からの圧力で自分の意見を曲げてしまった後での訂正。そして作家の内部の変更を受けての訂正。

 ま、そんな風に整理しながらアップダイクを読んでいると、自分としての発見は「宗教」(キリスト教)についてのテーマや登場人物が多いと分かりました。これはたぶんアップダイク研究では常識だと思いますが、僕としてはけっこう重要な、面白い発見でした。この宗教(キリスト教)というテーマの扱い方については別項で。このあたり自分の勉強のメモとしてのブログで、あまり読者(とっても少ないけれど)は関心がないと思いつつ・・・