不惑と混乱

   

   昨日は午前中雨でテニスは中止。午後晴れたので知事公館へ。

 月曜の滝野すすらん公園と同様ピークは終わったけれど、枯れ葉も含めていい感じでした。

 隣の近代美術館も展示ではなく、2階のラウンジから庭の景色が見えてとてもくつろげます。

 バスに乗って札幌駅前に。買い物をしてステラ・プレースで食事。

 さて儒教の父祖と言われる孔子の言行をまとめた論語にある「不惑」。「40にして惑わず」と言われたが、僕は惑ってばかりいました。30年前の混沌とした時期。

 講師から助教授にはなっていましたが、独身。そんなにエンジョイばかりはしていられない。授業と研究と雑務。

 そう言えば、その頃14年ほど住んでいた土地を買いました。母と折半で。何か形になるものを欲したのか、土地を買えば息子が落ち着く?とでも母は考えたのか。そんな40才。

 いま、40過ぎの知り合いの不惑ならぬ、混乱を目にします。甥っ子も40才で独身。そう言う例が増えているとの事。

 よく考えれば、平均寿命が孔子の紀元前より大幅に高くなっているので、仮に40を30と考えれば惑うのも理解できます。

 でも僕の言動が誤解を招いたかも知れない不惑の混乱については、そう客観的でもいられない。周りにも迷惑がかかるし。どうすればいいのか。まずその知り合いの混乱が落ち着くのを待つか、落ち着く手助けをしたいのですが、メールも届かない状態です。