コロンビア大学と学園紛争

 前項で追悼したNYの作家オースターも卒業したコロンビア大学の学生の占拠と警察による排除。だいぶ前にも聞いたようなニュースです。

 コロンビア大学の紛争について学生が書いた『いちご白書』(1968)とその映画化(1969)。時代はアメリカン・ニューシネマの時代でした。

 19才のジェームズ・サイモン・クーネンが書いた『いちご白書』の冒頭は、ポール・ニザンが1931年25才の時に書いた『アデン アラビア』とちょっと似ています。

 こちらは「僕は20才だった。でもそれが人の人生のなかで最も美しい年令などとは誰にも言わせない」。これを青春小説の傑作と考えている人もいるようですが、自伝的抗議文書。何に対する抗議かと言うと大英帝国の植民地アデン(イエメン)の帝国主義植民地主義

 話は変わって、でも場所については変わらないのですが。

 前回も今回も学生が占拠したのはコロンビア大学の構内にあるハミルトン・ホール。かの建国の父祖の一人、初代財務長官のアレクサンダー・ハミルトンに因んだ建物です。銅像もあったように記憶しています。

 独立戦争時にワシントンの副官だったり、独立後財務長官となるが、ワシントンの死後はその政治的立場は不安定となり、女性問題も絡んだ事件で決闘をして死亡してしまう。そのような波乱万丈な人生は『ハミルトン』というミュージカルとなりました。僕もヒップホップを使った場面を授業で紹介した事もあります。

 サイモン君の時代は、ベトナム反戦と大学改革でした。『いちご白書』というタイトル自体が、コロンビアの学生新聞のインタビューに大学院の副学部長が「学生が(大学の)問題に意見を言っても、それは学生がイチゴが好きかどうかという程度のもの(で大学にとってはどうでもいい)」という発言(statement)を学生側が自嘲的に「いちご発言」としたようです。

 「発言」よりは「白書」の方が聞こえがいいのでそのように(誤)訳したのでしょう。学園紛争以後、大学は学生の意見を少しは聞くようになりました。

 あとは軍隊やCIAのリクルートを大学に入り込む事への抗議が大きい。少なくともそれまではアイビー・リーグの優秀な若者を将校やスパイにリクルートしていたのは有名な話ですよね。特に大学のフラターニティ(学内の優秀な学生が住む友好団体兼寮)に就職の勧誘があった。今では考えられないけれど。

 さて今回の問題はアメリカ政府のイスラエル支援への反対デモ。コロンビア大学だけでなく、各地の大学で似たような抗議運動が発生しています。

 写真はロー記念ホール。元図書館で、現在はビジター・センター兼式典用の建物の前です。中央、僕の後ろに座って腕を上げている黒檀の座像はAlma Mater、「母校」と名付けられています。5月だったので卒業式の準備をしていました。