訃報と学会

  昨日W君から北大教養時代の担任だったY先生の訃報を受けた。

  この教養時代のクラス(フランス語、6組)については何度も書いています。第2外国語の希望者をクラス分けして、それを高校のHRに似せた大学の初年次教育の補佐的なシステムで、調べると今でもやっている?もちろんもっとシステマティックにですが。当時は現在のように大学での学び方の基礎教育というよりは、大学からの情報(担任から)と大学に慣れるための仲間(クラス)のゆるいつながりというような感じでした。そのゆるいつながりが、一生の友人にもなる。

  そのクラスが卒業後40年以上もクラス会もどきをやっているのは少ない。コロナ前の2018年胆振東部地震のあとに札幌ビール園で10人くらい集まって先生を囲んだのが最後でした。

 今年はアメリカ文学支部の重鎮のK山先生が同じく91才で亡くなった。

  たまたまご近所に住むK池先生(北大、80才)の散歩に遭遇して、両先生の訃報についてお知らせする。

 でY先生は3才年上の兄の同じ北大教養時代のクラス担任だったので家ぐるみでの付き合いもありました。兄には知らせたけれど、兄からその級友というつながりはなさそう。なぜか3月にY先生から携帯に電話があり、お兄さんの電話番号を教えてほしいとの事。お教えしましたが、その後兄には電話がなかったようです。去年まで弁護士事務所を開いていた兄に法律的な相談をしたかったのだろう。

 写真は僕らが40才の先生と20才のぼくたち。場所は北大支笏寮の前。50年前。右端の背の高いY先生。前列左はしがW君。前列中央の二人、A君とK君は数年前になくなった。後ろの中央が僕です。なぜかメガネを外している。

   もう1枚は前述の2018年。右端で口をとがらせてるのがA君。

 学会は明日。今日は駅前のホテルで代議員会。会議がだいぶ長引いている事がメールでは判明。何か難しい問題があったのかな。