F先生の事

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 小学校から大学まで8人の先生が担任(最後は指導教官かな)に教えてもらいましたが、断トツで3・4年の時の担任だった船野ソメ先生が印象に残っています。

 いま手元に2・3・4・5年生の時の通知票がありますが、2年の時には「早飲み込み」、「あわて気味」という言葉あり、その後何十年も変わっていないなぁとある種の感慨があります。

 1・2年の時の長谷川喜代治先生は太った男の先生で、教壇でお昼を食べている先生に皆でまとわりついて、慕われていんですね。小学1年生ってかわいいね。それと先生が煙草臭かったのを今でも覚えています。6年くらい前でしたか、中学の同期会の幹事の集まりで、中学ではクラスは違いましたがO波君が長谷川先生の影響で教師になったという話を初めて聞いてそういう事ってあるんだと思いました。

 で船野先生は母と同じ庁立女学校出身の先生で、通知票に「自分の欠点を自覚して矯正しようとしている」と書いていてくれて、本当に大事な教育的なコメントだなと今でも感心しています。副委員長をしていたのですが、委員長は女子でTH弓子ちゃんだった。眉毛の濃い、気の強い女の子だったように思います。

 先生のお宅にクラスの皆でお邪魔して鶏ご飯(混ぜご飯)を食べた記憶があります。一人お茶碗1杯だったと思いますが、そんなにたくさんの茶碗をどうやって用意したんだろう。菊水北町10丁目という住所まで正確に覚えていて、家の玄関のたたずまいや、息子さん、お義父さんについてもかすかに覚えています。

 小学3年生にとってはおばさん先生だったけれど、教師として優秀でかつ人柄もよかったのだと、当時の記憶といまあらためて通知票の書き方を見てもそう思います。やはり船野先生の教え子だったまた従弟が先生が会いたがっているよって教えてくれたのは20年以上前だろうか。その時お会いしておけばよかったと思いますが。20才くらいの時に10人くらいで先生を囲んだのが最後だった。

 ND君、確かにHKちゃんは色白美人でしたね。僕は5年の時に一緒だっただろうか。小学校6年間で一度はクラスが一緒だったのと、面立ちの整った大人びた大人しい子だった記憶があります。ND君の下にいる坊主頭の少年がさっきふれたO波君のように見えます。と言う事は1・2年の時は長谷川先生ではなかったのかな。

 写真は日本でも有名なアンドリュー・ワイエスの「海からの風」。古くなったカーテンが虫の羽のように繊細で、セピア色の全体の色調がノスタルジックな雰囲気を醸しだしています。日本で人気があるのが分かるような画家ですね。