30年後のカーヴァ―とクンデラ

 チェコミラン・クンデラ(1929‐2023)が今月95才で亡くなった。

 1968年の「プラハの春」の時39才のクンデラ。改革支持をしたため著作は発禁。フランスの大学に招聘されたのを機に出国。そのまま帰国しないで、国籍はく奪?、フランスに帰化

 僕としては『存在の耐えられない軽さ』(1984年)の映画(1887年)で記憶に残っている。映画好きの仲間たちの間で話題になった。僕は35才で映画や音楽、そして文学好きな仲間たちと飲みながら議論をしていた。今おもえば、一番自由だった時間だったかも知れない。

  

 そしてレイモンド・カーヴァ―(1938‐1988)の没後3年、1991年支部機関誌での追悼エッセイとして「存在の耐えられない重さ――カーヴァ―の場合」を書きました。

 「重さ」を描き続けたアメリカの作家。最後の短編集『僕が電話をかけている場所』(1988)のエピグラフに『存在の耐えられない軽さ』の一説を引用していました。ミニマリズム小説の時代。世界や時代よりも自分の身近な家族・友人などの事を描く。その代表的存在でありながら、リアリズムを超える荒涼とした世界も描いていたような気がします。

 特に印象に残っているのは、発表された作品が編集者の手が入っていて、何かヒューマンなエンディングになっている。でも実は作家はやりきれない感じのオープン・エンディングを望んでいて、それもまた発表されました。若い作家とベテラン編集者の麗しい協力ではない、その逆のエピソードとして有名です。

 カーヴァ―の紹介者の村上春樹訳の全集が僕の本棚にも6冊あります。

 クンデラよりもカーヴァ―の話になってしまった。写真を並べると、けっこう似た二人でしょう。