モーム、グリーン、作家/スパイ

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 モーム、は914年に第1次大戦がはじまったときに40才。医師でフランス語に堪能なので野戦病院部隊に志願

しフランス戦線に派遣されます。その後は情報部勤務に転じジュネーヴを本拠に諜報活動に従事しています。たぶん作家としてそれなりに有名で、フランス語もできるし、もちろん現場工作員ではなかったでしょう。

 1917年秘密の重大任務?を帯びて革命下のロシアに潜入すしますが、持病の結核が悪化し帰国します。

 1928年には情報部員を主人公/語り手とした短編集『アシェンデン』を出版します。これが各国の情報部の必須とされたというのは本当でしょうか。あまり信じられない。

しかも今度は第2次大戦の1940年に66才?のモームが情報省から宣伝と親善の命を受けてアメリカに向い1946年まで滞在したようです。これはもう情報部員というものではないでしょうね。

 さて一方モームよりも30才年下のグレアム・グリーン(1904~1991)は、反ファシズムイデオロギーが現実に国家として実現したと共産党政権のソ連歓喜した世代の後の方でしょうか。後述の「ケンブリッジ・ファイブ」が有名ですが、オックスフォードはどうだったのだろうか。オーデンはそうかな。あとイシャ―ウッドやスペンダーなど共産党に入党したりシンパだったりスペイン内戦に参加したりした後で、ソ連スターリニズムに失望して関係を断つ詩人・作家が多かったんですね。

 アメリカでも共産党に入党したりシンパだった人々が、戦後の赤狩りで犠牲者になります。戦後の冷戦下ではイギリスよりもアメリカの方がひどかった。前にも書いたマルカム・カウリーという詩人・批評家は、第1次大戦後のパリで「失われた世代」と呼ばれた作家たちの一人だったが、1930年代はマルキシズムに傾倒していました。赤狩りのハリウッドの犠牲者の一人ダルトン・トランボも1905年生まれでした。

 グリーンはオックスフォードを卒業してタイムズでジャーナリストとして訓練を受けた後に27才で共産に入ります。オックスフォード在学中に、第一次大戦で敗北して一部の地域が占領されていたドイツ大使館に雇われ、対仏諜報を行ったと言われますが、これもスパイの訓練の一部かも。

 第2次大戦がはじまったときにはあの有名なMI6の正式メンバーとなります。戦後スパイ映画の007でも有名にな諜報組織miritary agentです。MI5の方が国内関係です。グリーンはこのMI6ではキム・フィルビーの部下となってアフリカなどのスパイ活動に従事します。しかし1943年に辞任しているのは上司に疑いを抱いたからでしょうか。

 このキム・フィルビーは戦後最大の二重スパイ事件の当事者、主人公だったからです。前述の「ケンブリッジ・ファイブ」の一人としてイギリスのエリートとして政権または組織の中枢に入り、確信犯的にソ連に情報を流していました。全員とは言いませんが、国家よりも主義に殉じたという言い方ができるかも知れません。1917年のソ連成立時に若者だった知的エリートの一つの生き方だったと。

さてグリーンの『ヒューマン・ファクター』(1978年)は、「絆を求める者は敗れる。それは転落の病菌に蝕まれた証し。」とするジョゼフ・コンラッドの引用を掲げるスパイ小説の傑作として名高い。

 この流れについては、ジョン・ル・カレもいますが、昨年12月に新聞の追悼コラムに関連して書いていました。

 写真は筑摩の世界文学大系の1冊。モームとグリーンが1冊になっている版もあるんですね。僕の手元にあるのはイヴリン・ウォーとグリーンが1冊になっているエディションでした。