想像力の欠如

f:id:seiji-honjo:20181023162434j:plain


「まずまず」発言について再び。この問題を「建前と本音」という枠組みで語ると政治家はマイクの前では「建前」(≒理想)を語るべきで、本音はもっとうちわの場にとっておくべきだとなってしまう。これは本音が本当の気持ちでこれを隠しておくという事にも別な問題が生じていしまう。

 例えば学校や職場で「本音で話し合おう」というような場面が想像できるけれど、この本音には正しいと思っているけれどそのような本音を普段のクラスや職場では人間関係を考えて言えないという状況での本音発言である。

 で、考えたのが想像力。政治家が自分のあまり正しくないけれどつい言葉にしてしまう本音。これが特に前の世代の保守政治家だと内輪のパーティなどでは受けたのだと思います。田中角栄森元首相、麻生など、これが愛敬だと思われる。そして愛敬が人間の幅や大きさとも勘違いされていた向きもある。

 これが件の政治家が家に帰って家族に「何百人、もしくは何千人規模の被害者が出た場合を考えると、まずまずの被害に収まってほっとした」というのはありえると思います。しかしいったんマイクの前に立ったら、その発言は日本中に広まり、被害者やその士族や関係者にも届くのだと言う想像力が欠けていると言わざるを得ない。

 ここで建前と本音に戻って、建前が理想論だとすると政治家が発言すべきは「政府が厳重な警戒を促したつもりだけれど、このような被害が出て残念だ。今は被害と被害者への対応に全力を尽くし、その後は今後の防災について検討したい。」こんな感じですかね。

 政治家もまた言葉で自分の理想の政治を語り、自分の卑小な本音を良き理念にちゃんと育っていくようにすべきなんでしょうね。本音を言えない場での本音語りではなく、理想を語りそれを現実すべく全力を尽くしていく。これはなかなか難しいでしょうね。

 写真は円山公園の坂下グランド。これが円山の麓で紅葉のいろんなグラデ―ションが素敵です。