『海街diary』、コマという手法

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 映画を見た後、つい原作(漫画)にも手を伸ばして。

前にも書いたけれど、僕が20代の学生・院生の1970年代
「花の24年組」と言われた昭和24年生まれの女流漫画家が輩出して、学部の仲間と読んだり、話題にしたものでした。竹宮恵子(『テラへ』)、萩尾望都(『ポーの一族』)、山岸涼子(『日出処の天子』)など。山岸さんは北海道出身、札幌旭丘高校卒業です。旭丘というと、つい大学4年の時の教育実習を思い出します。母校の西高をさけて選んだ高校で人生唯一の「モテ期」というか。

 漫画が文化的に認められた時代。僕が繰り返し(しつこく?)言っているポストモダンの文化では高級とか低級とか区別なく、鑑賞され論じられる。それと呼応してか、前の時代なら文学でも目指した才能と気骨のある女子がためらいなくか漫画の世界に飛び込み、すぐれた作品を作って多くの人がそれを読み評価する。

 で、吉田秋生も『バナナフィッシュ』で注目したのですが、よく考えたらその前に『櫻の園』の映画化がありました。「バナナフィッシュ」という果物+魚はアメリカ文学者?としては当然サリンジャーの「バナナフィッシュにうってつけの日」という短編を連想します。吉田さんのタイトルもそこから来ているらしい。

 さて『海街diary』全9巻のうち5巻を読み終わりました。漫画は読みやすいけど、だからすぐ読み終わる。残りの4巻も今日中には届きそう。漫画評論では常識だろうけれど、漫画のコマって有効で、会話のコマの次に言葉で語られない本音をコミカルに描くことができる。これがとても大きいと思いました。

 また言葉で本音だけれど妙に正しいことを言ってしまった時に、別のコマでつっこむ。建前と本音、正論とそれに対する気恥ずかしさ、というよう対立する感情を対位的に表現できるのは、あらためてすごいと思いました。文学でも映画でもできない。

 それと関連するけれど、美形でクールな人物が慌てる時のコミカルな絵柄。逆にどじな人物が格好いいセリフや行動をするときにいきなり格好いい絵柄に変わる。それもまた漫画的なコマでの表現可能な手法だと。

 そのコマの位置が、建前/正論のコマのすぐ隣か、下に描かれるので、視覚的には同時に見る事ができる。もう少し厳密にいうと、順番としては建前/正論のコマを見て、次に対位的なコマを見る、または対位的なコマを見る時は建前/正論のコマも同時に見る(事ができる)。これは文学にも映画にもできない、漫画だけの特権的な手法だと思います。

 いま、学会の仕事もしているので少し研究っぽい考え方になっています。