パレスチナは難しい

  新聞の土曜の書評欄で『エドワード・サイード ある批評家の残響』が紹介されていた。執筆者は中井亜佐子さんという一橋大の英文学者。僕も英米文学研究の端くれ?ですが、名前は知っていました。

 その書評に「パレスチナに生まれアメリカに亡命し、『オリエンタリズム』やパレスチナ関係の著作を残したサイード」とあって、そこに少し疑問を感じたのでした。

 どこに。僕の記憶ではイスラエルに生まれたアラブ系の人であった。あとからパレスチナアメリカ人の文学批評家と自分の中では修正された。

 でもこれも不正確だった。この不正確な知識は、自分のせいでもあるけれど、中東の歴史の複雑さの故でもある。

 Wikiでは「キリスト教徒のパレスチナ人としてエルサレムに生まれる」とあり、これもすぐには理解できない。

 まずパレスチナという場所と、パレスチナ人の簡単な定義を知りたい。

 パレスチナ西アジア地域。通常はイスラエル、ヨルダン西部の一部、ヨルダン川西岸地区ガザ地区を含む。うん、つまりイスラエルパレスチナ地方にふくまれる。それって常識のレベルか、自分でも判断がつきません。無知な老人なのか。

 さてパレスチナ人はパレスチナ地方に居住するアラブ人。多くはイスラム教徒。ではユダヤ人はアラブ人ではないか。いっとき「日本人でも、ユダヤ教徒ならユダヤ人」という、かなり変な言説がありましたけれど、これはユダヤ人にとっていかにユダヤ教が重要なという事の極端な表現だったと思います。

 サイードは、人種的にはアラブ人、生まれたのはエルサレムパレスチナの一部)、宗教的にはキリスト教、そしてアメリアに移住したのでパレスチナアメリカ人となります。イスラム教徒ではない。人種、民族(宗教もふくむ文化的な区分)、出身地、移住先もふくめて総合的に考えないといけない(ので面倒?)。

 さてサイードの出自にこだわるのは、その著作にも『パレスチナへ帰る』とか『故国喪失についての省察』とあり、関心があります。『イスラム報道』もあるか。一方で、ユダヤ人の音楽家ダニエル・バレンボイムとの交流も有名。『バレンボイム/サイード 音楽と社会』という二人の対談本も本棚にありました。

 僕はサイードに興味を持つ前に、ピアニストのバレンボイムについて名前だけは知っていました。その後の指揮者にもなり、そして悲劇のチェリスト、ジャクリーヌ・デュプレとの結婚も。彼女は病気のため42才でなくなり、死後『ほんとうのジャクリーヌ・デュプレ』という映画もありました。

 2001年の4月から9月までコロンビア大学に客員研究員として在籍した時に、サイードの名前が英文科にありました。一度お会いしたいな。講義でも聞けないかなと思っていました。するとある時、パレスチナ側からイスラエルに投石する人たちの中にサイードがいて、その写真が新聞に載ったのを覚えています。

 確かに僕のいた時期は、5月に卒業式があって、9月の新年度まで夏季休暇でもあったのでした。キャンパスで卒業式の準備をしていました。行先の大学のスケジュールに疎いとんまな研究員で、コロンビア大学の図書館はよく利用しました。

 ちょうど宇多田ひかるが在学していたようで、日本のメディアが来ていました。もう中退していたのかな。あのアリシア・キーズはちゃんと卒業しました。

 9.11の時は、札幌からのアナウンサーY・E子さんが取材に来ていたようです。彼女は僕の英語のクラスにいて、今H学園でS課の課長をしているK君と何人かでコンパをやった記憶も。

 すぐ話が脱線してしまう。写真はコロンビア大学のキャンパスで。広くないはないけれど、コンパクトで落ち着いた雰囲気でした。

歯科医、床屋、wifi、書評

  火曜日は歯のかぶせ物?が取れたので治療に駅前のいつもの歯医者さんに行きました。

 2008年から通っている3つ年下の優秀で人柄のいい歯科医です。ロックに詳しくて、Allman Brothers BandのCDをもらった事も。

 で予約の間に割り込ませてもらい、治療。忙しいので雑談はなし。

 ランチまで時間があるので、北大付属図書館に利用証の更新に。コロナ前は図書館内でwifiが使えたと思うのですが、現在は学内の人だけ。でも係の人がeduroamは使えますよと。eduroamについては後述。

 春分の日は近所の床屋さんへ。ここは高1から55才まで40年住んでいた家の、通りをはさんで向かいにあります。2007年に800mほど離れた場所に引っ越しました。でも床屋さんは同じところ。ここは店主が同い年で誕生日も1日違い。

 店の窓に3月31日で閉店とある。中に入って聞くと膝が悪いそうだ。職業病でもあるか。旧居の向かいだったので、なくなったおふくろが庭いじりをしていましたよ、というような昔話も聞ける。なくなると聞くと大事な場所でもあった。あまりお酒を飲まない人ですが、ご苦労さん会でもしようかなと。42年営業したとか。

 さて三題噺の最後のwifiについては、eduroamというこの1年くらい学会支部で耳にする名前です。education+roam(ぶらつく)からの造語で、教育・研究機関に向けての国際的なwifi利用のためのネットワークの様です。

 この間、藤女子大で研究会がありましたが、藤のwifiを使わせてもらおうとしましたが、仲間はeduroamでwifiにつなげ、Zoomに参加している。ところが北海学園でやったときには学園がeduroamに参加していないので使えない。庶務課でportable wifiを貸してくれてよろこんでいましたが、他の研究者はどうして学園はeduroamに入っていないのでしょうねと思っていたようです。

 つまり所属大学がeduroamに参加していれば、自分の大学のメール・アドレスでeduroamが使えるように設定して、その後はeduroamに入っている大学ではそれでネットにつなげられる。と言う事のようです。僕は詳しくないので、知り合いの表現をそのまま使っています。

 さて最後は、支部会員の出した本の書評を書く仕事。支部機関誌へ提出する原稿です。これは仕事と趣味を兼ねている。

 そうだ北海学園の元同僚が出した『40歳から凡人として生きるための文学入門』。

これについては次項で。

 

憲法とボブ・ディラン

 同性婚について、札幌高裁で「違憲判決」。

 これはよかったけれど、憲法第24条1項の「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として」について、「判決は、1項の『両性』という文言だけでなく、目的も踏まえて解釈すべきだと指摘。」と朝日新聞の3月15日の朝刊1面に報道されていました。

 「~だけでなく、~も踏まえて」という"not only but also"にも似た表現は、「両性の合意」についてここではふれられないので、「目的」の方に注目したと推測しました。 

 つまり「違憲」=「憲法に反する事」にのみ注目されているように見えます。確かに判決が今までよりもずいぶんと進んだ判断かも知れないけれども、憲法が「「婚姻は両性の合意のみに基づいて」としている点について、スルーしているような気がしてなりません。憲法が何か絶対的な、不可触なもののように考えられている。そんな憲法自体が見直されるべきではないのと思ってしまいました。

 確かに僕も50年前は「両性のみ」に疑問を持ちませんでしたけれど。そんな遅れた?僕でさえも「同性婚」について理解しつつあるのに、憲法はもっと遅れている。そしてその事をこのような重要な判決でもふれないのは、気が付かなくてスルーしたのではなくて、それはふれていけない事として意図的に?スルーしたのか。

 憲法を変える=憲法改正というと、平和憲法といわれるその根幹でもある、不戦≒自衛についても一緒に議論しなければならないからかな。

 最近ボブ・ディランに目覚めて?けっこうアイフォンでも、Boseでも聞いています。

 My Back Pages, All Along Watchtower, One More Cup of Coffeeなどなど。

 調べると20枚近く持っていました。アメリカ音楽について授業をするときにでも買ったような。バックバンドだったThe Bandと一緒よりも、Greatful Deadとのライブの方がいいようにも聞こえます。NHKの「アナザー・ストーリー」では、ディランのニューポート・フォーク・フェスティバルでの反響とノーベル賞に絞った構成とインタビューがあまり参考になりませんでした。残念。

 でディランなら同性婚憲法について、どう言うだろうか。差別と平和と自由の実現の難しさを歌った"Blowin' in the WInd"のように、「答えは風に吹かれて」≒ すぐそこにあるのになかなか手に入らない。

『ウサギ』と『逃走論』

 アップダイクの発表から「改訂」の話がらみで、レイモンド・カーヴァ―再読に少し行きました。でもその前に『走れ、ウサギ』に関係して、研究会から懇親会に向かう途中でO先生が『逃走論』(1983年)も関係しますよねと話していました事もあって。

 その前にブログでアップダイクとエミネムについて書きましたが、Rabbit Runについて新しい情報がみつかったので、それから。

 アップダイクの『ウサギ』4部作の序文でも1939年のノエル・ゲイとラルフ・バトラーが作ったコミック・ソングRun, Rabbit Runについてふれていました。

Run, Rabbit Runは農場で飼われているウサギが、ラビット・パイに使われるという事で逃げ出す。コミックなような、でもブラックでもある。それでティム・バートンの作品などホラー、ゴシック的な映画に使われ続けています。

 そして2年前のインタビューで浅田彰が『逃走論』発表40年?について回顧していました。70年代に全共闘世代を代表とする左翼的な運動とイデオロギーが行き詰まり、連合赤軍事件が起きた。「革命家としてのアイデンティティー」に固執しないで「逃げる」道を選んだ方がよかったのにと。

 奇しくも先月、50年近く「逃げ続けた」東アジア反日武装戦線のK容疑者が亡くなった。逃走/逃亡の日々がどのようなものだったか知る事はできないが、気楽な人生だったとは思えない。それにしても仲間同士でゲバルトを繰り返すよりはよかったのだろう。でもそれにしても逃げ続ける日々とは・・・

 「走って」「逃げる」事の意味は重要だと思います。システムや制度の柵(しがらみ)にとらわれる事なく、自由に向かって逃走する。でも今度は70を超えて、何から「逃げる」のか・・・

 写真はデュフィの「グッドウッドの競馬」(1935年頃)です。「走る」という無理やりな共通項で。

『ノー・カントリー』再見

 『ノー・カントリー』を99円という値段にひかれてアマゾンで再見。感想を書こうとして前にも書いたことを思い出しました。

 少しずるっこというかさぼりですが、今はきちんと論じる余裕がないのと、14年前の内容も悪くはない?ので、2009年3月1日の旧「越境と郷愁」のブログを再録。

 と言うのは研究会のアップダイクの発表の後に、懇親会でレイモンド・カーヴァーの「改訂」が話題になり、その確認作業と、4月1日締め切りの書評の準備があって。時間はいくらでも?あるのですが気持ちの余裕がない。それで昔の自分のブログで。かつ原作も再読中。これもけっこうおもしろい。

キネマ旬報』の2月下旬号に今年のベスト・テンが載っているが、ベスト・ワンが『ノー・カントリー』だった。例によって原作とDVDを比べてみる。映画では組織の金を奪ったモス(ベトナム帰還兵)を追う殺し屋のシュガーがスペイン人俳優ハビエル・バルデムの怪演によって際立つ。
 殺人鬼シュガーを究極の悪、純粋悪と呼べるようなその悪の造型が物語を単純にしているようにも思える。誰も勝てないような悪はその容姿や殺し方も含めて笑ってしまうような登場人物にも思える。監督・脚本がコーエン兄弟なのでオフ・ビートな犯罪映画と考えれば、無敵の殺人鬼は不気味であるが、同時にリアリティを超えてファルス(笑劇)的な人物と化す。モスとシュガーを追う保安官ベルにはまたもT・L・ジョーンズ。
 原作の翻訳者(黒原敏行)の解説によれば、シュガーは人間の傲慢さ(ヒューブリス)を懲らしめるネメシス(ギリシャ神話の怒りの女神)だとするが、だとするとギリシャ悲劇はそのまま人間の愚かさを笑う笑劇でもあるのだろうか。
 また原作ではベル保安官の独白がストーリーの合間に挟まれるのだが、映画では他の人物との対話に置き換えられている。映画の視点は基本的にカメラの三人称なので、登場人物の独白はボイス・オーヴァーで語られる事が多い。多用すると物語がとまるのでダイアローグにしたのかなと推察。T・L・ジョーンズは自分は死を覚悟しているのに、助けたいと思っている人たちが殺されて行くのをなすすべもなく見ているしかない無力な保安官を演じて、『告発のとき』のような精彩がない。

 

2,017年1月17日のブログから

 コーマック・マッカーシ―の”No Country for Old Man”はイエーツの「ビザンチウムへの船出」からの引用。2007年コーエン兄弟が映画化していますが、邦題の『ノーカントリー』では何のことか分からない。「ビザンチウムへの船出」は『塔』(The Tower、1928年)に収録されています。1923年にノーベル賞を受賞した後ですが、詩境は深みを増し、老境への思いを表出しています。若さや命の営みの饗宴とは無縁の老人は無視されるような世界を離れて、ビザンチウムへと旅立つ歌です。

  写真は左から保安官(トミー・リー・ジョーンズ)、組織の金を盗んだモス(ジョシュ・ブローリン)、究極?の殺し屋(ハビエル・ベルデム)。

誕生日の研究会とサプライズ

 昨日は藤女子大で研究会。僕は6回目の年男で、昨日が誕生日でした。でも発表者の都合で、研究会が。まぁ、72にもなって誕生日もないでしょうけれど。

 僕が1月から司会の準備をしてきたジョン・アップダイクの発表です。

 発表者は京大の大学院を出て、北星学園に赴任したTさん。

 いわゆるテーマ批評ではなく、テキスト・クリティックなので、難しいかなとも思っていましたが、司会に送られてきた原稿を読むと、何とか?理解できました。

 例えば、代名詞の使い方で登場人物の夫婦の関係が理解できる、など。

 また「ウサギ」4部作を書き続けながら、メガ・ノベルとして統一性を意識した、改訂を行ってきたなど。

 けっこう質疑もあって、Zoomで参加してくれた立教大のKさん、先生などの質問やコメントもよかったです。

 終わって、北18条の洋食「コノヨシ」で懇親会。

 支部長は、妹さんが僕と誕生日が同じなので覚えていたようです。それで挨拶でちょっとふれるかなと思っていたら、シャンペンでお祝いをしてくれました。

 さらに最後のほうでバースデイ・ケーキならぬデザート盛り合わせが登場。家でもしてくれない?ようなサプライズに感激しました。もう少し支部のお手伝いをしようかなと現金に考えたりして。

 その後、いつものすすきのゼロ番地。最後に高校の先輩のお店で飲み仲間の近況など聞いて帰宅。

 今朝はまた雪が降っています。これから雪かきをして、朝風呂の予定です。その後のビールはどうしようか・・・

「森のくまさん」日米異聞

 かみさんが子守歌?に「森のくまさん」を歌ってくれた。

 初めて聞きましたが日本の童謡かと思いきや、実はアメリカの民謡だったらしい。

日本版は森に迷い込んだ少女にくまさんは「お逃げなさい」という。

まず「お逃げなさい」という言葉自体がへん。

 しかし「お逃げなさい」と言いながら、後をつける事について批判しているコメントが多い。少女がイアリングを落としたから、拾って返してあげるから。その後、少女はくまさんと一緒にうたっているし。

 英語版”The Other Day, I Met a Bear”は熊は森に来た少年に「銃も持たないでいて、どうして逃げないの」と問う。つまり銃を持つのが自然で、持っていないのなら逃げるべきだと。

 で少年は一目散に逃げて、追いかけてくる熊から、高い枝に飛びついて危うく難を逃れる。

 それでオリジナルは、何とか逃げる。そこはアメリカの自然(熊)との対立。森に行くのに銃を持たない方がおかしいという文化日本のように自然と人間が融和するような考えではない?森が自然/野生の場で、そこでは危険もあるという、アメリカの自然観。

 日本版では危険な存在であるくまが、くまさんとして少女にここは危険だからいてはだめだと教えるという事か。

 しかもこのアメリカの民謡を、日本の作詞家/作曲家はじぶんが作ったものだと主張したらしい。

 逃げなさいと言うのが熊ではなく、小鳥だったという人もいるけど、それってあり?

それは、いずれにしてもオリジナルを知らない日本人が、日本人の文化に合わせてアレンジしたのでしょう。

 その際、熊が逃げなさいと言うのは不自然だと感じて、勝手に小鳥に変えたバージョンがあっても不思議ではないか。

 でもオリジナルがこうだと理解したうえで、アレンジした方がすっきりする。

 こんな子供向けの歌でも、アメリカと日本の自然観や考えの違いが分かって面白かった。