日本語は亡びるのか

    この刺激的な題名は、何度も取り上げてますがまた『ユリイカ』の2009年2月号の特集タイトルで、もちろん水村美苗の日本語が『亡びるとき』(2008年)の出版を受けてのものです。で、なぜ僕かこれをかというと書棚のオースターの上の段にあったのと、「お、久しぶりに読み直してみるかな」いうささいな理由だけです。もちろんというか本棚には『續明暗』、『本格小説』もあって、少なからず関心はあったので、取りあえず『亡びるとき』と『ユリイカ』を再読しました。

 でも11年前のブログを再読すると、いまの僕よりもちゃんとした事を言っているので、図図しいけれど採録します。ただラテン語については、旧約聖書ヘブライ語、そしてラテン語の前に中程度の普遍後でもあったギリシャ語の位置づけを考えると、ラテン語の普遍語としての位置づけはそれほど絶対的ではなかったらしいと付け加えておきます。

 実は『ユリイカ』の掲載文(論文ともコメントも言いかねるのですが、何と言えばいいんだろう)はけっこう水村さんに反論しているのもあります。これで正しいんだろうけれど、対談も載っている水村さんはどう感じたんだろうか気になりました。ま、それまでにも出版後、厳しい反論はあったでしょうが、自分の本の特集で自分の対談も載っているので、もう少しマイルドな論調のものが大半を占めると予想していたのですが。けっこう真剣にフェアに反論も含めて検討していたんだなと思いました。

 11年間にも書いているように、第1章のアイオワで世界の作家たちとの交流、特に夜ホテルの廊下を歩いていると、それぞれの作家・詩人がコンピュータに向かって「自分たちの言葉」で書いている気配が壁の向こうに感じられる。気配と言うよりも熱気と言うべきか。この辺りの言葉への柔軟性がこの本の他の部分にも続いていいればよかったんですね。

 

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2009年2月10日

普遍語もまた亡びる

 水村美苗の『日本語が亡びるとき』(筑摩書房、2008)と「特集 日本語は亡びるのか?」(『ユリイカ』2月号、2009)をテキストに言語について考えてみた。『日本語が亡びるとき』については年末の風邪ひきの時に読んで、アイオワでのモンゴルやポーランドの詩人や哲学者が自分の言葉で語る場に出くわした経験についての第1章は面白く読んだが、第2章以下の面倒な議論はパスした。
 その後、知り合いのブログでの綿密な分析や、『ユリイカ』その他で取り上げられているので、再度挑戦。「普遍語」、「国語」、「現地語」という枠組みで水村はとらえているが、綿密な分析の後の結論は文部科学省も喜ぶような常識的なものになっているように思える。どうして第1章の言語の多様性を認めつつ、活発な現地語の使用、その中で国語が豊かになっていけばいいのであって、普遍語はツールとしての共通語ではだめなのだろうか。
 第一に普遍語とされるラテン語と英語では文化的背景が異なる。ラテン語は中世ヨーロッパの知的・文化的言語なのに対し、英語は19世紀後半からの覇権国家イギリスとアメリカの言語に過ぎない。そして「国語」は「現地語」(その国の口語俗語)が「普遍語」の翻訳を経て文化的に洗練された言語とされるが、普遍語が英語だとしてそれが知の図書館のように文化が蓄積されているかと言うと、決してそうとは言えないのではないだろうか。中世のラテン語のようにヨーロッパの知的言語ではなく英語は、フランス語・ドイツ語などと並ぶ一国語に過ぎない。

 そしてラテン語の前に新訳の言語としてギリシャ語もまた亡びた普遍語として存在した。英語などはたまたまの1世紀半ほどの間、英米が世界の覇権国家なので、覇権言語としての有用性から共通語となっているだけだ。
 国語の持つ歴史的・文化的役割については重要だと共感する。しかし現地語の現在性については過小にしか評価されていない。国語が現地語のサブカル的な用法も含めてその現在性のエネルギーを利用しつつ、同時に普遍語の知的情報も得ながら、活性化する事が重要だと思う。つまり現地語や普遍語と自在に交通するという前提で国語が中心となる状態が望ましいのではないだろうか。