カッコーのセレナーデ

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 タイトルはローランド・カーク(1935‐77)の曲Serenade to a Cuckoo で僕はI Talk with the Spirits(1965)で聞いています。アルバム・タイトルもいい。異形のミュージシャンがシャーマンのように霊とコミュニケーションをする。珍しくフルートのみ演奏しています。それと「ジャンゴ」や「荒城の月」も入っていて、静かというかマイナー調というか。でも時々、カークらしく暴れる場面も。

 イギリスのロック・バンド、ジェスロ・タルが1968年のデビュー・アルバム『日曜日の印象』 (This Was )でカバーしているのも有名です。ロックにフルートを持ち込んだイアン・アンダーソン。ギターは上手い人が多いのでフルートを選んだというのも面白い。フルートを演奏しながらのステージ・アクションもブリティッシュ・ロックの特徴の一つでもある演劇的。

 でもロックのジェスロ・タルが自分の曲で大金を稼いで、印税をカークの未亡人に払っているようだけれど、カーク自身はロックが自分をまねて盗んだと思っていたらしい。確かに黒人アーティストはいつも白人から真似されて盗まれていたから。尊敬されてもいたけれど。

 つい言葉に関心が向いてしまうのですがカッコーはカッコウ、郭公とも表記。閑古鳥もカッコウ?鳥は鳴き声と外見と生態でいろんな風に覚えられるけれど、「托卵」が悪いイメージにつながりそう。子孫をつなぐというと聞こえがいいけれど繁殖に有利な行為としても結構あるようですが、どうもそれってと思ってしまいます。

 以前のブログ(Newが付かない方の「越境と郷愁」)では、授業でローランド・カークを紹介した後、ミツヤ・カフェで偶然ローランド・カークがかかって驚いた事と、伊坂幸太郎の『重力ピエロ』でカークのVolunteered Slaveryが主人公の親子(父と二人の息子)の話題となる事について書いた。「自発的な奴隷」なんてありえないから、強制的な奴隷の状態を忘れて生きる?弟の春が言う。「本当に深刻なことは、陽気に伝えるべきなんだよ。」「ピエロが空中ブランコから飛ぶ時、みんな重力のことを忘れているんだ」。

 アメリカで黒人で盲目でありながら、ジャズで自由を表現したような気がします。いくつもの楽器を同時に吹くその姿は、変でもあるけれど、自由で面白くもある。出てくる音も意外ときれいだったり、少しダーティだったり。何か一つでくくれないものがローランド・カークという短命で異形のアーティストにはあって興味が尽きない。