『荒地の恋』を読む。

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 ねじめ正一の『荒地の恋』(2007年)を読みました。詩誌『荒地』の同人である北村太郎田村隆一の4番目の妻明子との恋についての物語。でもそれよりも、「荒地」派の詩人たちの交流が興味深かったです。時々書いていますが英文科に学部移行した動機の一つが西脇順三郎というモダニズムの詩人で英文学者でした。

 モダニズムの代表的な詩人であるエリオットの現代社会の荒廃を描いた詩集『荒地』(1922年)。その名をもらった日本の戦後の詩誌『荒地』の同人に鮎川信夫北村太郎加島祥造田村隆一、中桐雅夫、北園克衛などがいました。さらに彼らよりも20才以上年上ながら西脇も『荒地』の同人だった時期もあります。

 北村、加島、田村は都立商業高校の同期生でもあります。加島はアメリカ文学、翻訳、そして最後は老子を詩で表現して仙人風の文人として評価されていましたね。

 『荒地』の同人でもっとも有名な鮎川信夫北村太郎の親友で、北村と明子の住まいを世話するなど、人情身に富んだキャラで登場場面も多いです。実は鮎川の奥さんは最所フミという英語の専門家で、加島祥造の恋人でもあった。それに秘密主義の鮎川は死ぬまで最所の事は友人たちにも秘密にしていた事は僕でも知っていました。その理由は知りませんが。最所フミという名前は、鮎川とは別に英語の使い手としては名前は知っていました。彼女が編集したスラング辞典なども手元にありました。

 詩人では食えないので、ほとんどの人は翻訳をしていたので、クリスティーやドイルなどのミステリーの翻訳者として名前を知っている人も多いと思います。それと大学の非常勤か専任(これは作家も同様ですね)。北村は20年以上朝日新聞の校正をやっていたようです。退職後は、翻訳と文化講座の講師。それでも家を出た後は、自分たちの生活と元の家族の生活費の援助で、本当にかつかつだったようです。有名な彫刻家の娘だった明子さんがそれなりの資産をもっていたので、北村は時々明子さんに借金をしています。安宅の人も楽ではない。

 二人の関係もやがて終わりをつげますが、北村は妻と子供の家には戻らず、詩のファンの若き女性との新らたな関係に入ります。実は5回も結婚をした田村隆一も明子が北村と住み始めたころに、彼の詩のファンである若い女性と同棲しています。田村隆一は若い頃から二枚目で恋多き人物として知られていましたが、晩年はかっこいい詩人の爺ちゃんとしてマスコミにもてはやされます。

 戦後の若き詩人が50代のころの1970年代に20代の僕は英文科にいて拙い詩を書いていました。もちろん『荒地』派はその他の詩人たちの詩を読んでいた。同時に彼らの人間関係などについてのエッセイも読んでいたのですが、『荒地の恋』に描かれたような当時進行中のどろどろした関係についてはもっと後の記録でしか知り得ないわけで。そして寡作だった北村は50を過ぎたころ、安宅の人になった頃から60代にかけて詩集をたくさん出します。恋人がミューズになったのか、お金のために詩作に集中したのか。その両方だと思いますが。

 仕事と人生について考えるこの頃です。

いろいろと/痛風/紅葉

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 ちょうど1週間前に2年ぶりに痛風が出ました。

 けっこう慣れているので、痛みの様子を見ながら薬を飲んだり、酒を控えたり。面倒なのはもう一つの薬と飲む時間を調整する点でした。

 木曜くらいには自転車で生協に買い物にも。土曜には誘いが来てテニス。でもあまり走りません。午後は知事公館の紅葉・黄葉を見に。寒くなったら隣の近代美術館で休憩。2階のフリー・スペースでゆっくり座って、ここでもガラス越しですが黄葉が見られます。

 最近は直木賞作家シリーズで、宮本輝に始まり、三浦しおん、萩原浩、恩田陸中島京子を読んでいます。

 三浦しおんの『舟を編む』、萩原浩『ストロベリー・ライフ』、恩田陸チョコレートコスモス』、中島京子『平成大家族』がいいかな。

ヨブ記/つむじ風/人生

 元の勤務先の学長/理事長のY先生からエッセイ集が送られてきました。

 最後の11年間同じ学部で、研究室も隣り、同い年で親近感を持っていました。もっとも僕とは、性格も学歴も研究業績も、現在のポジションもかなり違いますが。

 さてご本のタイトルの『つむじ風に巻き上げられて』は、ヨブ記の40:7に由来します。篤信のヨブが信仰に迷いと疑いを持っているのたいして、神がつむじ風の中から「腰に帯して、男らしくせよ」と叱咤する部分です。

 この「つむじ風」が英語の聖書では’storm’なので「嵐」の方がと思いつつ、ヘブライ語では「つむじ風」なのかなとも推察します。そしてヨブ記からの引用は、Y先生が東北のH学院に在職中に同僚だったS先生の著書『腰に帯して、男らしくせよ』とまさに同じ部分からの引用である事が分かります。Y先生がもっとも尊敬する同僚だったと言うS先生については教え子のO先生による追悼本『S先生のこと』に詳しく書かれ、ヨブ記も重要な役割を果たしていました。

 またY先生は鳥取の米子出身で、鳥取市近郊の八頭郡出身の母方の父祖(本城)の関係からも親近感を持っていました。さらに僕の方が軽い症状で申し訳ないのですが、同病の同志で?もあります。そしてドイツ・キリスト教史を専門とされるY先生が北海学園大学に10数年前に赴任するまでも、ご本人が書いているように「順風満帆な歩みでは決してない。むしろ逆風に弄ばれたジグザグの旅程であった。…まさに「つむじ風に巻き上げられて」という聖書的心象がぴったりくる。」と。

 それに比べると、札幌に生まれ、札幌の大学を卒業し、札幌で40年間務めたというのは、何という変化の少ない、平凡な人生だったと、わがことながら少し?あきれてしまいます。これは冗談ではなくかなり本気でそう思っているんです。何かもう少し変化のある人生を送り、もう少し人の、社会の役に立ちたかったなと嘆慨つつ、ビールに手がのびてしまいます。今日は少し痛風ぎみでテニスを遠慮?したのですが、晩酌はちゃんと実行しました。

言葉を聞かない自由

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チャールズ・ミンガスを聞いています。Changes 1&2,  Mingus at Carnegie Hall, Mingus In Europe 1&2,  Mingus  Ah Um, The Clownなど。ミンガスの音楽を聴く人は知っていると思いますけど、ミンガスってけっこうしゃべるんです。聴衆への曲の紹介、メンバーへの指示、曲の中での言葉など。面白い時もあるけど、うるさい時も。ミンガスの病気(双極性障害など)を考えると、これはコントロールの効かない言葉の表出である部分もあるとも考えられます。

 音楽だけでは自分の意見や表現が満足できない時に言葉が出てくるのか。ブルースやR&Bの歌詞だけでは表現できないと考えたアメリカの黒人の言葉の噴出がヒップホップと考えられますが、ミンガスの言葉もいい意味ではそれと似ているかなとも。

 で昨日の朝日新聞の「折々のことば」に出ていた「言葉を聞かない自由ってのもあるんだよ」という故・相米慎二の言葉に反応しました。「言葉を聞かなくても見えてくるものは見えてくるから、言葉を聞かない自由ってのもあるんだよ」と続きます。たまたま先ほど読んだ『週刊 文春』に相米監督の『セーラー服と機関銃』についてのコラムがありました。

 それでもそんなに観たいとは思わないけれど、言葉を信じつつ、言葉の限界というか、言葉では言い表せないものもあると考えてきたんですね。20代、1970年代の吉本隆明の『言語にとって美とは何か』を難しいなァとため息をつきつつ読んでいました。

 写真はMingus Ah Um(1959年)。ちょっと抽象画のようなデザインはS.Neil Fujitaという日系のグラフィック・デザイナーの手によるものです。コロンビア・レコードのジャケットや、『ゴッドファーザー』(マリオ・プーぞ)、『冷血』(カポーティ)の装丁も手掛けたとか。

いろいろと/特に何もなく

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ブログの月刊アーカイブに出ている数を見ると9月は30。ほぼ毎日書いていたんですね。8月は25、7月と5月は21、6月は26。平均すると3日に2回、1週間に4~5回くらい書けばいいのかと。続くと続けようと無理して書く事にもなって、書くことが目的になってしまいそうです。

 でいろいろとあったような、何も特段ないような1週間。たぶん少しテニスに飽きて?外出しました。少し寒いので出不精になったか。去年は12月中旬にも外でやりました。温暖化のせいか、できないのは12月~3月なので8か月くらいは外でできるようになりました。

 ジャズ方面は、ドン・プーレンがらみでチャールズ・ミンガス再訪。もともとCDではほとんど持っていなかったミンガスを5枚ほど注文して聞いています。けっこう(かなり)いい。それと同じベースのセシル・マクビーは最近買ったファラオ・サンダースDeaf Dumb Blind(1970)とLive at the East(1972)にも参加していました。チャールズ・ロイドやキース・ジャレット、チャールズ・トリバーなどと共演している大物ベース。日本の山下洋輔とも。そしてファラオ・サンダースの『ブラック・ユニティ』ではスタンリー・クラークとダブルでベースを担当していて、一時期愛聴していました。

   面白いのはセシル・マクビーという名前、音が格好いいからか1980年代からアパレル・メーカーも使っていて、ベーシストのセシル・マクビーは商標権について訴訟を起こしたんですが、ベーシストの名前としてはジャズの世界では有名かもしれないけれど、それを超えて有名という訳ではないと却下されたらしい。でもアメリアでは事実上販売できないようです。

 読書の方は、直木賞作家の方面で、三浦しおんの『舟を編む』がとっても面白いです。それ以外も直木賞を受賞した『まほろ駅多田便利軒』のシリーズも面白いので、何か書ければ書こうかと。

ミンガス、ドルフィー、ジョーダン

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1964年4月ドイツでのライブMingus in Europe。サックスがエリック・ドルフィーとクリフォード・ジョーダン。

 エリック・ドルフィーは6月に糖尿病による心臓発作で亡くなったようです。ツアー中の客死。

 「黒人アーティスト、エトランゼ」(https://seiji-honjo.hatenadiary.jp/entry/2020/04/08/090232)では、ツアーの時に帰らないで、そのまま滞在したように書いたのですが間違いでした。『ラスト・デイト』は亡くなった月にドイツのラジオのために録音したもののようです。有名なYou Don’’t Know What Love Isでのフルートは本当に白鳥の歌のように透明感のある演奏で、聞くたびに心が洗われる。

 クリフォード・ジョーダンは僕的にはStrata-Eastから1972年に発表されたIn the Worldで記憶されています。ドン・チェリーエド・ブラックウェルなどの前衛派とウィントン・ケリーケニー・ドーハムなどの主流派というか保守派、そしてその中間ともいえるクリフォード・ジョーダン、リチャード・デーヴィスなどの演奏スタイル横断的なメンバーと、同様に前衛的/主流的な演奏がいい。1曲目のViennaでの暗いロマンティシズム。その中でのウィントン・ケリーの明るいピアノが対位的にアクセントとなっている。ジャズ喫茶の「アクト」や居酒屋「こうや」で聞いた時の風景や話も思い出します。

 でもイヤフォンで聞くと少しばらばらのような、一体感が欠けるように聞こえるのは機械(メディア)のせいだろうか。写真はミンガス。けっこう絵になる写真が多い、フォトジェニックなジャズマン。Goodbye Porkpie Hatで有名ですが、麦わら帽(straw hat)と葉巻が似合う。

ミンガスとドン・プーレン

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1974年のカーネギー・ホールでのライブを聞いていますが、なぜかアナログ・レコードではPerdid とC Jam Bluesの2曲のみ。CDでは完全収録。

 CD1はIntroduction , Peggy’s Blue Skylight、 Celia、 Fables of Faubus 。CD2 はBig Alice 、Perdid、  C Jam Blues。

 トランペットは John Faddis、サックスは John Hnady 、Roland Kirk 、Charles McPherson、 George Adamsという錚々たるメンバーです。

 有名なFables of Faubusでのサックス同士のコレクティヴ・インプロヴィゼーションとプーレンのピアノがよく合っています。ミンガス・ミュージックとプーレンの親和性が分かってうれしい。

 ジャケット写真もミンガスの姿がモノクロで撮られていて、センスとユーモアがあります。

 同じ1974年のChangesの2も聞いてみました。有名なOrange Was the Color of Her Dress, Then Silk Blueが17分の長尺で、プーレンのピアノがマッコイ・タイナー風からプーレン風のスタイルと1曲の中での演奏スタイルの変化が楽しめます。それとフォーク・ミュージック風のノスタルジックな曲調が、とちゅうアヴァンギャルド的な演奏になって、これもミンガス的。ゴスペル、フォーク、ジャズ、フリーとアメリカ音楽の歴史をなぞりつつ、混沌も表現しているような。

 ミンガスって怒りながら56才の短い生涯を終えたように思えます。その怒りに時々辟易しつつも、ミンガスの生きた時代の黒人にとって、それは怒らざるをえないだろうなとも思います。うつ病とか双極性障害とも言われていますが、アーティストとして創造の苦悩もあるだろけれど、人種差別による怒りから正常な精神状態を保てなくなる事もありそう。