言葉を聞かない自由

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チャールズ・ミンガスを聞いています。Changes 1&2,  Mingus at Carnegie Hall, Mingus In Europe 1&2,  Mingus  Ah Um, The Clownなど。ミンガスの音楽を聴く人は知っていると思いますけど、ミンガスってけっこうしゃべるんです。聴衆への曲の紹介、メンバーへの指示、曲の中での言葉など。面白い時もあるけど、うるさい時も。ミンガスの病気(双極性障害など)を考えると、これはコントロールの効かない言葉の表出である部分もあるとも考えられます。

 音楽だけでは自分の意見や表現が満足できない時に言葉が出てくるのか。ブルースやR&Bの歌詞だけでは表現できないと考えたアメリカの黒人の言葉の噴出がヒップホップと考えられますが、ミンガスの言葉もいい意味ではそれと似ているかなとも。

 で昨日の朝日新聞の「折々のことば」に出ていた「言葉を聞かない自由ってのもあるんだよ」という故・相米慎二の言葉に反応しました。「言葉を聞かなくても見えてくるものは見えてくるから、言葉を聞かない自由ってのもあるんだよ」と続きます。たまたま先ほど読んだ『週刊 文春』に相米監督の『セーラー服と機関銃』についてのコラムがありました。

 それでもそんなに観たいとは思わないけれど、言葉を信じつつ、言葉の限界というか、言葉では言い表せないものもあると考えてきたんですね。20代、1970年代の吉本隆明の『言語にとって美とは何か』を難しいなァとため息をつきつつ読んでいました。

 写真はMingus Ah Um(1959年)。ちょっと抽象画のようなデザインはS.Neil Fujitaという日系のグラフィック・デザイナーの手によるものです。コロンビア・レコードのジャケットや、『ゴッドファーザー』(マリオ・プーぞ)、『冷血』(カポーティ)の装丁も手掛けたとか。