正月の終わり

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 鏡開きの時にネットがつながらず慌てました。いまはスマートフォンテザリングでつないで不自由を感じません。その料金の加算が気になりますが、家のデスクトップのプロバイダーからの毎月の請求書が来たら、またそっちに戻そうかと。

 昨日はお炊き上げ(どんと焼き)で近くの西野神社へ。ここはコンサートで来た歌手が訪れた事で有名になりましたが、こじんまりとしたいい神社です。

 かみさんの実家の円山に行き、円山クラス~東光ストアを経て鳥居前の中華のお店に。ちょっと失敗でした。

 16日土曜の朝は雨模様。朝日の土曜版の書評欄でジョン・ル・カレの追悼小特集があり、手元にある諸作品を読み直そうという気になりました。スパイ小説の中では読みずらいとはいえ、ヘンリー・ジェームズの英語・翻訳に挑戦?した経験からすると大丈夫だと自信を持ちました。また二重スパイのアイデンティティー、カフカ的ともドストエフスキー的ともいえる不条理と複雑さに改めて興味を持ちました。

インターネットが・・・

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  急にデスクトップのインターネットがつながらなくなった。ケーブルとかの接続ではなく、たぶんOCNの料金未払いだと思います。毎月7000円程度請求書が来たらすぐにコンビニで支払っていました。数年前にも忘れてつながらなくなった。で、支払いをしたらすぐにつながりました。それで懲りて銀行引き落としにしようとしたのですが、その手続きが難しいいわけではないのにうまくいかない。それで相変わらず毎月支払っていました。

 さてOCNに連絡しようとiphoneで電話番号を調べようとしても、すべてネット上で手続きをするようになっています。どうしようかと考えあぐねて、家でラップトップでネットを使う時にiphoneテザリングをしたのを思い出してやってみたらうまく行きました。

 年末に13年使ったテレビが映らなくなって、書斎の20インチのパソコンで朝ドラや相撲を見ています。ただBSのTBSの報道番組が見られないのは少しさびしい。で、今朝テザリングをオフにしているのにネットにつながっている。テザリングがアイフォンの料金増加にならないか心配していたのですが。

 さてアンドリュー―・ワイエス張りの景色でしたが写真に撮るとだめなので、本当のワイエスの絵を。ワイエスはお父さんが有名なイラストレーターで、本人も画家。息子も画家になったので三代の個展をやった事もあるそうです。日本でも人気がある画家ですね。

懐かしい映画館

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 またN田君のブログに触発されて。何か自分でテーマ思いつけないようで老化か寂しいですが。

 『ウエスト・サイド物語』を見たのは1961年上映だから9才?たぶん映画好きのおふくろに連れられて行ったと思います。でも中学生の頃に見た記憶があるので調べてみると1963年まで1年半のロングランだったようです。確かに中学の時にジョージ・チャキリスが履いていたバスケット・シューズが流行った。これは背が高く足が長くないと似 合わない。Y崎君やT谷君など長身のバスケット部の友だちが履いていました。

 で見たのは、国道36号線沿いの南4条西3丁目角にある豪華な映画館、松竹座。そして日劇東宝日本劇場、南1西1)は丸井の向かいにあってこれも敷居が中高生には高かった。でもここで007を観た記憶があるのですが、2番館が隣に併設したいたようにも。

 札劇(南3西1)は須貝ビルにあり、ここの支配人が中学の時の英語の先生の息子さんだと後に分かります。英語の先生はハーフみたいな彫りの深い顔だちに流暢な発音でイングリッシュ婆ちゃんと呼んでいました。高校進学の時に西野に越して、近所でこのY田先生をみかけました。するとこれも後からですが、中学の同級生の義理のお兄さんの歯科の裏手に住んでいて、さらにお隣が高校の同期生の家だとか知ります。

 帝国座(南3西1)は条丁目は札劇と同じですが、こちらは狸小路の1丁目にありました。

 そして松竹座と同じ36号線沿いですがこちらは庶民的な2番館の豊栄映画劇場。1966年閉館とありますが、中学2年か3年の時に閉館時の無料サービスで入った記憶があります。映画館が豊平3条7丁目、僕んちは4条6丁目だったので歩いて5分くらいか。当時は東映時代劇の大川橋三、中村錦之助、そして日活の『嵐を呼ぶ男』もここで見た記憶があります。町内に床屋さん、畳屋さん、雑貨屋さん、貸本屋、銭湯などそろっていた時代でした。スーパーでなく市場の時代。つと納豆を売る呼び声も昭和30年代の風物でした。

 また国道36号線ですが、この反対側にあるのが豊平映画劇場(豊平2条2丁目)。こちらは後から元遊郭街だと知りますが、当時もちょっと行きづらい場所でした。かかっている映画も洋物ピンク路線だったようで、関心はあるけれど行けない場所の映画館でした。この辺り誤解と偏見があるかも。

 この辺りまで小中学校ですが、高校では粋がってシネマ・テークの映画を道新ホールで見た記憶が。でも期末試験の後に狸小路のニコー劇場でドロンとブロンソンの『さらば友よ』を見ました。

 大学に行くと北23条のシネマ23でゴダールではない方の『ウィークエンド』を見た記憶も。実は大学時代はジャズ喫茶と映画館をはしごしていたのですが、何故かその詳しい記憶はない。たぶん思い出しくない事も絡んでいるような。

 写真は和田由美さんの『ほっかいどう映画館グラフィティ』。読み物としてよりも資料的価値があります。今だとネットで各映画館の歴史について調べる事も可能ですが、1冊でその用が足りるのは便利でした。

 和田さんは札幌の有名文化人ですが、大学生の頃アルディ似のガール・フレンドと「スペイン酒場」で飲んでいると話しかけられました。もう酒場の取材を始めていたのかも知れません。その後も「エルフィンランド」で見かけた事も。ま。エルフィンの中島洋さんは後に「シアター・キノ」を立ち上げるので、その頃から知り合いと言うか、仕事と趣味が一致したような和田さんの羨ましい生活ですね。

NYのすし田などなど

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 N田君がニューヨークのすし田について書いていたのでついつられて。

 96年にフィラデルフィアのペンシルヴァニア大学に客員研究員としていた時にかみさんのご両親が訪ねて来て一緒にニューヨークに行きました。その時にすし田にも行きました。すすきのの「ふらの」という居酒屋をやっているJちゃんがその時はデザート担当だったような。「ふらの」はかの居酒屋評論家の太田和彦も取り上げています。

 さてすし田はマンハッタンに2軒あった時期もあるようですが、今度は2001年コロンビア大学にいた時には1軒だったような。Jちゃんも日本に帰っていました。ただフィラデルフィアと違って日本食の店も多く、荻窪に本店のある「本むら庵」で鴨せいろを食べたりしました。

 劇場街(ブロードウェ―に沿って40~45丁目くらい)にあるイタリアンのオルソもラム・チョップが美味しかった。ラム・チョップと言えばMOMA(近代美術館)のレストランでも美味しかったです。最近MOMAが大幅リニューアルしたという記事がありましたが、2001年当時も改修中で会員になったけれど入れない場所も多かった。ここはフィルム・ライブラリーも充実していました。

 バードランドでベースのクリスチャン・マクブライドを見ました。かっこいいベースでしたね。ピアノはジェフ・キーザー。ブルーノートではディディ・ブリッジウォーターを聞きました。ドラムスはテリ・リン・キャリントン。ピアノはケヴィン・ヘインズだったような。ヴィレッジ・ヴァンガードも数回行きましたが、夕食後何となく出かけたので、そんなに注目する演奏には出くわしませんでした。

 写真は【アンドリュー・)ワイエス的と自分では思っている近所の公園の景色です。枯れた草と雪とのコントラストが冬ざれた絵にも見えて。でも色調がセピアでないとあまり映えないかも。

正月の終わりと大雪

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 7日の夜寝る時は何でもなかったのに起きると大雪でした。

 でもこの程度だと大雪と騒ぐ程ではないけれど、最近は少ないので。

 朝一番で雪かき。汗をかいたのでビール。

 音楽はフランソワーズ・アルディのベスト盤。でも期待して聞くとそれほどでもないので、いつものファラオ・サンダースに代えました。アルディって美人ではないけれど、カッコよかった1970年代。実は大学後半から大学院にかけて付き合っていた女性がちょっとアルディ似。美人ではないけれどカッコよかった点も。

 北大の物理にいたんだけれど、高校は桐朋。同級生にリリーがいたとか。父親が共同通信の特派員で中学から高校の途中までジュネーヴにいたので帰国子女でした。僕は北大のフランス語研究会の代表をやっていたけれど、もちろんフランス語は彼女に教えてもらいました。その後翻訳もやっていたような。

 先ほどコンビに行った時はドン・プーレンを聞いていたけれど、サンダースとの共演があればよかったのに。

 アルディって、ミック・ジャガーよりも足が長い。

平穏

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 年末は少し体の不調の予兆?があって不安と諦めとなんでもない事に新鮮な印象を感じ、そして家族と健康で仲良く、そして平穏な生活が営めればそれでいいと思う時間でした。

 さて元旦の朝は少し雪が降って静かで平和です。ちょっとだけアリバイ的に雪かきをして朝風呂。ビールで「今年も宜しく」の乾杯。僕は黒豆、飯鮓、イクラ、刺身で菊正の樽酒を2合ほど。雑煮を食べてまたひと眠りです。

 そうだ、明けましておめでとうございます。

年末の教養小説

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 井上靖の青春小説三部作『しろばんば』~『夏草冬涛』~『北の海』から下村胡人の『次郎物語』(5部作、未完、新潮文庫で上中下巻)に進んでしまいました。現在中巻を読了。

 児童文学、青春小説、教養小説と名称がいろいろあるのは、扱っている主人公が子供(就学前、小学生)だと児童文学、中学に進学して大正時代の旧制中学だと現在の中学~高校にあたるのでこれなら青春小説、そして中学から高校に進学する大人への道を進む教養小説となる訳です。

 教養小説はよく知られているようにドイツ語のBildungsromanの訳で人間をbuild、作り上げていく過程を描く人格/人間形成小説とも言われます。まさに年代は少年から青年期に当たる。いかにも真面目なドイツらしいですが、その点では日本も類似していて徳富蘆花の『思出の記』、漱石の『三四郎』、鴎外の『青年』、そして『次郎物語』、山本有三の『路傍の石』、『しろばんば』と続く訳です。

 『次郎物語』は小さい時に里子に出されて戻った実家で祖母と母にいじめられる物語として有名で、戦前から日活・新東宝・松竹、そしてNHKなどで映像化されています。血のつながった祖母や母に疎んじられるけれど乳母には溺愛される点は『しろばんば』の主人公とも共通していて、家族の意味を考えさせられます。

 中巻では中学の敬愛する先生が軍部に批判的な言動をして辞職させられ、次郎はそれに抗議してこれも退学させられます。これは上巻からもそうですが、かなり次郎や友人、時には父親も家族とか人生とかについて、ちょっと青臭いとも言えるような真面目な思索や議論を展開して、明治後期から大正にかけて熊本第五高~東大に在籍した作者の時代が影響していると思います。

 教養小説を読む真面目な年末でした。でも毎日年末の買い物のお手伝いもしています。