『ゴッドファーザー』と時間

アマゾンの会員特典無料配信で、『ゴッドファーザー』のⅠ、Ⅱ、Ⅲを再観。再読をもじって自分で造語しました。僕はずっと優れたパートⅡはまれだけれど、『ゴッドファーザー』はそれに該当する。またはパートⅠ以上だと思っていました。でも再見してパートⅠの方が上かなと考えなおしました。

 もちろんすぐれたパートⅡだけど、前は評価していたドン2代目マイケルの部分と1代目ヴィトーの青年時代を交互に描き出す対位的な手法が少しけれんに思えてきたんですね。それとパートⅠのアル・パシーノ(マイケル)がいい。マーロン・ブランド(ヴィトー)はその演技を評価するか、これもやはりけれんと見るかで評価が分かれてくると思います。「けれん」、つまり受け狙い的な演技、または表現方法。と考えるとコッポラ監督自体の表現方法も少しけれんかな。でもそれがインパクトがあったり、全体の中でバランスが良ければいいのですが。でも少し不自然。

  もともとイタリア系のコッポラはオペラが好きで、パートⅢでも物語と絡んでずいぶんとアントニー(マイケルの息子)の歌うオペラの場面が長いです。歌舞伎のけれんと関連のある、奇抜なあざとい目立つ作りが好きなんだと思います。自然とか、淡々と、とかとは真逆の表現方法か。

 パートⅠのラストも、甥の洗礼という宗教的な儀式と、ライバルのボスの暗殺のカットバックによる生と死の対位法的な描き方が、ぎりぎりけれんのいい例と言える。実はカットバックは同時的に異なる空間で進行しているドラマの対比がサスペンスを生み出すという手法。この時間が映画の大きなテーマで、それにプラスして過去と現在を対比的に描くのがパートⅡ。

 マイケルがドンとしての地歩を着々と築く1950年代、1代目がNYで若きドンに成り上がっていく1920年代を交互に描く。NYにいた時にTVで『ゴッドファーザー サーガ』というのを見ましたが、パートⅠ、Ⅱを時系列に整理して描いて、確かに分かりやすいがドラマがフラットでつまらなかった。やはり物語、ドラマ、フィクションは、物理的な時間を虚構化して再構成した方が面白い。時間を圧縮したり引き延ばしたり、前後を入れ替えたり。と言うか再構成した虚構の時間を物語と言うのかも知れない。のちに『ゴッドファーザー Trilogy』という3部作をまとめたのもあるらしい。

 パートⅡではマイケルがファミリーを引き継ぎますが、それによって自分の家族の方が崩壊してしまう矛盾。ファミリーが自分の家族と組(古いかな)の両方を意味し、それがうまく行く初代。それは1代目の成り上がる牧歌的な時代とは異なり、暴力が家族のためという大義が成立しなくなった2代目の悲劇。それでも苦悩するマイケルを演じるアル・パシーノは30代半ばか。まだ魅力的。

 パートⅢでは50才になったくらいのアル・パシーノはマイケルとしては60才くらいの役どころだろうか。俳優本人の荒んだ?生活のせいか老けていて、それが残念ながら魅力につながらない。マイケルだけでなく、3代目ドンになる兄ソニーの遺児ヴィンセントを演じるアンディ・ガルシアも何かあんちゃん風。そしてマイケルの娘でヴィンセントの従妹のメアリーを演じるソフィア・コッポラがあんまり。だって女優でも何でもないのに、監督の娘っていうだけで。なんでもウィノナ・ライダーが予定されていたけれど、体調不良のためで辞退したと言うけれど、例の万引き事件でだめになったんでは。ソフィアはのちに監督として力量を発揮するのでそちらの方が向いたのでしょう。

 さらに俳優の批判が続きますが、対立するユダヤ系マフィアのボス、ハイマン・ロスを演じるのがリー・ストラスバーグ。これも僕的には風貌も演技もいまいち(ごめん)。NY演劇界の大御所でコッポラも演技指導は控えたようです。あのアクターズ・ステュディオの統率者。エリア・カザンが創設し、ストラスバーグが演技部門の責任者だった。マーロン・ブランドポール・ニューマン、マリリン。モンロー、ジャック・ニコルソンダスティン・ホフマン、アル・パシーノ等の名優を輩出しました。けれど少し鬱陶しい演技というか俳優の系譜でもあります。

 逆にパートⅠパートⅡではあまり魅力的ではない妹コニーのタリア・シャイアが中年の厳しい女性の役どころでいい演技をしています。あまりけなすばかりでは書いている本人も読む人も面白くないのではと、少し配慮?しました。『アニー・ホール』のレイヤード・ルックで一世を風靡した?ダイアン・キートンのケイもよかったです。ワスプ的なヘアスタイルのパートⅠ、Ⅱよりも、ショートのパーマが素敵でした。

 それとあのジョージ・ハミルトン。典型的な二枚目俳優がしぶい中年になって、マイケルを補佐します。トム・へーゲンは亡くなっているという設定。実はパートⅡでも回想シーンでヴィトーが出ていてもいいのですが、マーロン・ブランドがギャラかその他の条件で折り合いがつかなかったとか。ロバート・デュバル(トム・へーゲン)はそんなタイプの俳優に見えませんが、やはり条件が折り合わなかった可能性があります。でもジョージ・ハミルトンの方がいい。しかも背の高くないアル・パシーノは横に並んで割を食っています。

 でもそれぞれの俳優が、若い時にはよくてもうまく年をとれないケース。逆に若い時はちゃらい二枚目俳優が、きちんと年を取って渋い中年になっているのをみると、時間の意味を感じます。ここで「時間」というタイトルに戻りました。「映画と時間」とは違いますが。