これも繰り返しになりますが、アメリカ文学における「孤児の物語」について。
ボッシュは間違いなく?孤児なんですね。ただそれがボッシュ・シリーズの中でどのような意味を持って機能しているかについてちょっとだけ考察してみようと考えています。
『ラスト・コヨーテ』(1995、翻訳1996)は、第1作『ナイトホークス』のラストでも明らかにされたように、11才の時に母親が殺されてしまう。そして施設や養父母のところにいた事情をシリーズの中でおりにつけふれられてきた。それが『ラスト・コヨーテ』では母親の事件に取り組む。それも無能な上司に暴力をふるった事で休職になり、空いた時間をずっと気にかけていた事件の解決に取り組むが、それこそがボッシュが警察官になり事件を解決しようと続けてきた本当の目的だったことに気づく。
ハードボイルドや探偵小説で主人公の出自がこれほど物語の中心にくるのは珍しいと思います。確かにホームズやポワロのような本格謎解推理小説は事件の解決が探偵の人間性・人格・アイデンティティーにほとんど関わらない。ホームズでは映画になった女スパイとの淡い恋のようなエピソードもあったかも知れませんが。でもハードボイルドでは、サム・スペードやマーロウのように探偵が事件や関係者ともっと濃く切り結ぶ構造になっています。
でボッシュも小出しにしていた出自の問題を『ラスト・コヨーテ』では本格的に取り組んで事件を解決します。しかし、そうすると本当の目的を達してしまったボッシュの物語はどう展開するのか。これほど自分の出自と関わる事件はそうありませんが、その後も続くことを僕たちは知っています。そして時々、自分の家族となるような人物の登場がある事も。