お金小説『道草』とソフトクリーム

 

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このテーマについては以前に書いた記憶があるのですが、記録を検索しても出てこない。記憶違いという事で。

 『こころ』と未完の『明暗』の間に書かれた1915年(大正4年)の『道草』は唯一の自伝的小説と言われいます。昔の養父がつきまとい、夫婦仲もいまいち、家計や借金の話が意外と多い辛気臭い?話です。でもけっこう面白い。

 「お金小説」と言ったのは飯田善國という詩人・画家が『夏目漱石を読む』という『リテレール別冊5』(1994年)においてでした。ロンドンの留学から戻った主人公の健三は当時のエリート中のエリートのはずですが、どうもお金に不自由しています。その理由の一つはエリートであるがために周囲から頼られてしまいます。金銭的に。妻の実家、兄と姉、そしてもと養父など。

 文中で健三は130円の月給を得ていると書いているが、それが1915年では40万円前後。たしかに30代後半の月給としては悪くはないけれど。

 『漱石研究』第9号(1997年)の「特集 漱石と家族」所収の丸尾実子さん執筆「民法制定下の『道草』」によると作品の舞台は明治35年で健三が洋行中の明治31年に出た民法が国民には浸透しつつあったが、不在だった健三は少しうといという設定のようです。実は戦前まで家督の家産も含めての長男世襲はずっとあったように思っていましたが、違っていました。明治以前の家産に基づく世襲を基本とした家は明治の資本主義社会では解体が進み、家督を継いでも戸主としての務めを果たせるとは限らなくなった。一方で学歴や本人の努力次第で次男や三男でも富や地位を手に入れいることが可能になっていった。それをみて政府は国民の統一を目的として、民法を制定し「家」の再生?再編成をだ図ったようです。

 でも健三は長男ではなく、長男はいて、しかし娘の結核治療のためにお金を使い果たし、弟に頼る羽目に。他の姉夫婦や元養父母は「洋行帰り」の弟や元養子にお金をたかる?のは、小説発表時の大正4年に施行された戸籍法が家制度を強化するもので、当時の読者は二つの法律の存在を頭に置きながら読んでいただろうと。つまり現代の僕らよりも健三に頼る人たちの事を良しとは思わないまでも、ある程度理解していた様です。漱石新聞小説は未来の読者はともかく、時事的な話題についてかなり意識して取り入れていたよう。

 さて昨日の夕方はまた自転車で近間に。発寒河川公園の西野緑道を上って右股橋まで行って、そこから下りの景色の正面の山々と両側の緑がとても心地よい。一昨日発見して、昨日も行ってきました。途中でケーキのお店YOSHIのソフトクリームで休憩。これもけっこうおいしかった。