マイ(アワー)・ブーム

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 少し前から大相撲を見ています。

 貴景勝大関になったあたりからでしょうか。

 大関になって、けがをしてきちんと直さないで出場して駄目だったというのは、稀勢の里のケースを思い出してしまいます。ま、大関横綱では期待度が違いますが。特に稀勢の里の場合は、久しぶりの日本人横綱の登場という事で期待のプレッシャーに押しつぶされて、けがを治さないで出てきてしまった。というか相撲協会、親方、ファンの期待を考えると、本当は体調万全で横綱相撲を取りきりたかったけれど、そういう訳にはならなかったという状況はよく理解できますが、残念でした。引退した後のさわやかな表情はその抑圧が如何に重たかったかを想像させますね。

 さて最近は、関脇の朝乃山がひいきです。理由は見た目と取り口でしょうか。相撲取りらしい体形、相撲人形のようなかわいらしい顔をしています。5月場所で初優勝しましたが、大きな体で小細工をしない相撲がみて心地いいです。

 横綱不在、大関豪栄道をのぞいては、勝ち越しが不安な栃の心、休場中の高安という状況では、大関復帰を目指す貴景勝大関を目指す御嶽海、朝乃山という20代前半から後半の力士の活躍が期待されます。

 30年前にもなりますか逆鉾も少し応援していましたが、先日58歳で亡くなってしまいました。休場中の横綱鶴竜井筒部屋を初めて知って応援したい気持ちになります。

 かみさんは逆鉾の弟の寺尾の解説が二枚目なのにちゃらちゃらしていないと気に入っています。マイちゃん(舞の海)の解説も内容語り口ともにひいきにしています。それと比べると九重親方の解説は・・・

 実は貴景勝は貴の花の弟子であるという事でかみさんが応援していました。僕は貴の花が理不尽な相撲協会のあり方に抵抗するのは賛成ですが、どうも抵抗の仕方がまわりの共感を拒否するような姿勢に違和感を感じていました。頭のいい子供の様に、理屈が正しければいいのだというような気がします。

 また相撲協会の方も、最近のあちこちのスポーツの組織の様に、というかもっと伝統的と言えば体裁がいいけれど古臭い気質が色濃く残っていて、これは変えてほしいなと心ある力士や親方なら考えると思います。その変えるための戦略がないんですね。

 もう一つは人種というか民族と言うか新しい人たちの台頭のいい部分と、そうでない部分の問題があって。モンゴル勢を否定的に見ると相撲を伝統的な文化というよりも単なるスポーツとしてみて勝てばいいと考えているようにも見えます。一方では、日本人の力士に負けた時の観客の反応に一生懸命やってきたモンゴル力士が落胆するというような状況もあります。

 僕はいろんな事について、どちらの側にもそれなりの理があると考えがちで、どっちつかずとか中途半端とか言われますが、対立するどちらかが絶対的に正しいという事の方が少なくて、けっこう両方にそれなりの理があり非もあるとつい思ってしまいます。

 自分が基本的に正しいと思ったたら、それを周りや相手に理解してもらう方法を冷静に探る必要があるでしょう。正しいというだけで相手が納得するという状況の方が少ないから。自分の足りないところを認めつつ、相手の非を攻撃的に攻めないで、理解してもらう方向で説得する、これはとっても難しいとも思いますけどね。