朝のピアノ

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   チック・コリア29才の時のPiano Improvisation vol.1(1971)。

 朝にふさわしい、クラシカルなでもちょっとジャズ的な明るさと少しラテン的なフレーバーも。vol.2の方もLPで買いCDで買い直したけれど、こっちは抽象的で感情移入できるようなメロディがないせいかあまり聞き直しません。チックはキースと比べるとホリゾンタルな横に流れて行くフレーズが爽やかで心地よい。

   キース・ジャレット25才の時のFacing You(1971)。これがジャズなのかと言われたたようですが、少なくともクラシックよりもフォーク的、時にゴスペル的でチックとはまた別な魅力があります。チックのホリゾンタルに対してヴァーティカル、縦に上から下に鍵盤を叩くスタイルがシンコペーションを効かせたゴスペル的な、down-to-earthな雰囲気が出ている。

  当時はポール・ブレイ、ダラー・ブランドなどもECMでソロを出していてそれぞれよかったですが、ソロ・ピアノで10枚組を出した人はいないでしょう。僕は聞きに行った札幌公演も含む『サン・ベア・コンサート』(1976)をLP時代に買いました。10枚組だったような、CDでは6枚組だそうです。「サン・ベア」は北海道のヒグマ(英語でbrown bear)を勘違いしてsun bearとしたようですが、これではマレーグマになってしまいます。

  『ケルン・コンサート』(1975)の引き込まれるようなイントロも素晴らしい。当時家庭教師をしていて卒業した教え子(ピアノを弾く男子)にプレゼントしてあげた記憶があります。映画にも使われていました。『ステアケース』(1976)はジャケットが好きでCDでも買い直しましたが・・・

着々と

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  Zoom用のヘッドセットが到着してしまった。早速デスクトップのコントロール・パネルで録音・再生に設定して、Zoomの公式サイトにログインして登録してしまった。しまったという表現が多いのは、意味が良く分からないでやっているからです。

 たぶん事務局がホストになって、僕らがそこに参加する事になるのだろうけれど、自分の部屋のパソコンで写す画像と声はホストのサイトを通して他の参加者に見える/聞こえるのだろうけれど、その順番とか発言をする人がホストに何か合図をして許可されるのか、よく分かりません。これからカメラが来たら、またリハーサルをして教えてもらおうと思っています。

 今日は海の日で、明日はスポーツの日です。えっ、スポーツの日って体育の日だったんで10月でないのと思って調べたら、今年だけオリンピックの開催日に合わせて移したんですと。でも国民に休んでもらおうというよりは、外に出て遊んで金を使ってもらおうという厚生労働省の魂胆で祝日を増やしていましたね。一方で文科省は授業日が減っているので、確保するように学校に求めているので、現場は混乱します。

 現在のGo Toキャンペーンと感染拡大を減らそうとする動きと同じ。お役所の縦割りをなくすか、少なくとも調整するのが政府の役割ですが、そのトップが1か月以上雲隠れしています。よ~く分かります。出てきても説明できないのですから。

  曇ってスッキリしないけれど、連休4日間毎日晴れたら、みんなテニスに来るので、少しくらい曇っている方が健康のために?いいかも知れない。そんな気持ちが通じたのか霧雨が降って来ました。

Zoom開始の準備

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   研究会で対面が難しい場合のために、Zoom使用でも参加しますかと事務局が会員に意見を聞いています。僕はその会の幹事でもあるので、どんなものか早速カメラとマイクをアマゾンで注文しました。

   カメラはZoomの解説サイトで一押しのが商品入荷の予定が分からないので、2番目のを買いましたが、それは別な解説サイトでは一押しでしたから、まず良かった。ロジクール ウェブカメラ C270 ブラック HD 720P ウェブカム ストリーミング 小型 シンプル設計 国内正規品 2年間メーカー保証。でも来るのは8月半ば。そう言ってもすぐ到着するばあいも時々あります。

  マイクはサンワサプライ USBヘッドセット 無(全)指向性 断線しにくいファブリック被覆ケーブル採用 Skype対応 MM-HSU09BK、これは来ましたので、早速パソコン上で設定しました。

  スカイプの一対一のビデオ・カメラとの違いは、ホストの用意したサイトにID登録をすればいいらしいですが、それもよく分かりません。これからカメラが到着する前に勉強しなくては。

  かなりの機械音痴ですが、支部学会の活動の活性化につながるので、その点では意欲的に取り組もうと。

少し夏

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 昨日はこの夏いちばん暑かった(ような気がします)。ちょっとだけウッドデッキに出ても背中が熱い。

 週5日テニスをしているので、肘や胸の筋肉が痛い。胸の方はは新しいサービスのスタイルがあのマッケンローの真似をしたもので、けっこう大胸筋を使うんですね。あのジョン・マッケンローがラケットを足元からゆっくりと頭上に上げて行ってトスをしたボールを打ち下ろす場面を覚えている人もいるでしょう。これはラケットがきちんと頭の上の方に上がり、そのゆっくりとした動作がトスの高さを促し、速くなくても高いところでボールをとらえて角度がつくんです。

 で昨日は腰も痛くてテニスはパス。代わりに手入れが楽な枝豆の支柱を。去年初めて枝豆にトライして初心者でも美味しくできました。種を植えてから収穫まで8週間かかるのですが、その間、双葉、本葉、それほど高くならない緑がけっこうきれいです。

 でも10日間くらいで食べきってしまうので、今年は3種、4回に分けて植えつけました。おぼんが終わった8月末から1か月くらい楽しめます。枝豆畑が菜園の3分の一を占めています。もう少しポタジェ的に花目の色合いもほしいのですが、緑一色。去年は途中でナスタチウムというオレンジの花を付けるエディブル・フラワー(食べられる花)も植えたのですが。

 夕方、急に散歩と外食に行こうと無理やり拉致されて、バス~地下鉄~市電で中島公園へ。北海道神宮とつながる円山公園とはまた違う良さがあります。また市電に乗って山鼻の蕎麦屋へ。味はまぁまぁ、接客はまぁまぁより下かな。こういう経験が多いので外食はやめて、家でゆっくり気持ちよく食べようかなと思ってしまいます。

 中島公園アジサイがきれいでした。

キップ・ハンラハン、音楽のディレクター

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  1954年にニューヨークのブロンクスユダヤ系の家に生まれたキップ・ハンラハンVertical's Currency (1984)の2曲目Shadow Song(Mario's In)をまず聴いてしびれた。ラテン・パーカッションとそれに続く分厚いホーン・アンサンブルそしてジャック・ブルースのかすれ声のささやき。寄り添うようにまたはぶち壊すようなデイヴィッド・マレイのサックス。

 主としてジャズのレコード、ライブのプロデューサーとして知られるキップ・ハンラハンのアルバムにおける役割は説明がむずかしい。彼の名前で出したアルバムにおける役割を映画監督に擬せられる事もあると言います。つまり音楽ではプロデューサーは制作の責任者ですが、実際に演じるのはミュージシャンで主役。映画では俳優とプロデューサーの間に監督がいて制作・脚本・俳優の上にいる。映画と言う総合芸術の責任者は監督。

 でハンラハンは単なるプロデューサーにとどまらない、映画の監督に近い存在の様です。またはオーケストラの指揮者にも近いかな。僕はここで音楽ジャンルの越境だけでなく、役割の越境/混交もあるかなと思いました。

 しかも彼が起用したミュージシャンにはドン・プーレンも出てくるし。ロックのスティングやジャック・ブルースの起用も興味深い。またヌーヴォ・タンゴの大物ピアソラも起用したり、作家のイシュメル・リードとタジ・マハールを同じアルバムで共演させたり、演奏者のジャンルもクロスオーヴァー

 ただハンラハンの音楽に詳しい人によるとVertical's Currencyは聞きやすい方向に行った安易なアルバムでCoup de tête (1981)の方が本物だと言うけれど、これは手ごわい。なかなか聞いてすぐに理解できません。

立ちはだかる壁

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   週1の非常勤は先週木曜日に14回目を終了して、来週の木曜は休日。再来週は先に15回になる曜日と他の曜日の調整のための予備日で、8月6日(木)が第15回目最終日です。まとめは少し考えてテキストのCrossing Bordersをふまえて越境/横断を現代文化/アメリカ文化/ポストモダン/ジャンルの横断などを整理してプレゼンしようと考えています。今回は次の週ではなく3週間後なので、慌てずゆっくりと考えてみようかと。 

 すると今朝の朝刊を見ると「分極社会」というコラムが。「2020米大統領選」の副題です。僕は越境/横断を文学・音楽・映画を横断的に俯瞰してアメリカ文化の中に位置づけるだけでなく、アメリカ(合衆国)から(南)アメリカへの国境の横断も音楽を中心に考えていました。さらにインターナショナルからグローバルと言う言葉が一般的になった時には、インターネットの普及による情報の国際化(という言葉も古いでしょうか)が実現したけれど、国境を超えると事が重要だと偏った意識が強くなり、片方で国単位または地方の意味も見直す動きも出てきます。そしてグローバルとローカルの両方が重要だというバランスを意識した考え方も出て来ました

  さらに今年グローバルに蔓延したパンデミックである新型コロナ・ウィルスもまた人を媒介にしてまたたくまに世界に広がってしまいました。しかしそれに対する世界の対応は決してグローバルではありませんでした。逆に国境を封鎖する事で感染拡大を防ごうとするボーダーをより強固にするものでした。そして国境を閉じた後の国内で国民の安全を図るかというと、逆に職業や収入や人種を分断して感染の危機を限定化し、その結果として危機に直面したのは構造化された差別の壁による被害者たちでした。感染も失業も富裕層やIT産業の従業員ではなく、マスクを与えられず消毒もできないスーパーの従業員たちだった。

  越境や横断を情報と人の自由な移動と考えると、壁の方は分断するネガティヴな装置だと。これはまだ少し詰めて行かなければならないかな。写真は大通りのバラ。明るくて爽やかな黄色が好きで、このサン・フレアという品種を手に入れて植えてみたい。

アメリカン・トラッドの終焉

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  先週、創立200年を超えたブルックス・ブラザーズが経営破たんした事を今日買った週刊文春で知りました。20年位前までは男性ファッションでもそこそこだったような気がします。1996~97年のフィラデルフィア、ニューヨークでもいちおう一流の扱い。ところが2001年のニューヨークではポール・スチュアートの方がファッショナブルでした。僕は半年滞在の記念にJ.Pressのスーツを買いましたが、これもそんなにお洒落ではなかったかな。

  1818年にブルックス家によってニューヨークで創業され、現在はイタリアの金持ちクラウディオ・デル・ヴェッキオが所有していたようです。でもやはりアメリカン・トラッド(アメリカン・クラシック・スタイルとも)の代表ブランドとして、日本でもその走りが1960年代から70年代にかけてボタンダウン・シャツ、後ろに尾錠のついたコッパン、今ではスリップ・オンと総称されるコイン・ローファーなどは、正しいブルックス・ブラザーズではなくてもアメリカン・トラッド、またはアイヴィー・ルックと呼ばれ、若者が愛好していました。文春の記事でもリンカーンケネディルーズベルトからオバマまで着ていたようです。

 アイヴィー・ルッとは蔦(アイヴィー)の絡まる由緒正しい建物が並ぶアイヴィー・リーグのキャンパスでまなぶエリートの若者たちのファッションだったんです。もちろんアイヴィー・リーグとは東部名門私立大学の事で、ハーヴァード、エール、プリンストンビッグ・スリーで、僕はペンシルヴァニア、コロンビアと少し入りやすい大学でしか客員研究員になれませんでした。

 日本では若大将シリーズで、若き日の田中邦衛が丈が短く、裾が細いコッパンをはいていましたが、真似をしたくないファッションでした。エクストリームなスリムは背が高く足が長くないと似合わない。洋服って僕らの世代まではそんなに似合わないかも。今の若者の様な体形でないと。一方西洋人(古いかな?)が着物を着ると、少し不格好で、これは日本人が似合う。

 写真はハリウッドで一番?アイヴィー・ルックが似合うアンソニー・パーキンス