立ちはだかる壁

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   週1の非常勤は先週木曜日に14回目を終了して、来週の木曜は休日。再来週は先に15回になる曜日と他の曜日の調整のための予備日で、8月6日(木)が第15回目最終日です。まとめは少し考えてテキストのCrossing Bordersをふまえて越境/横断を現代文化/アメリカ文化/ポストモダン/ジャンルの横断などを整理してプレゼンしようと考えています。今回は次の週ではなく3週間後なので、慌てずゆっくりと考えてみようかと。 

 すると今朝の朝刊を見ると「分極社会」というコラムが。「2020米大統領選」の副題です。僕は越境/横断を文学・音楽・映画を横断的に俯瞰してアメリカ文化の中に位置づけるだけでなく、アメリカ(合衆国)から(南)アメリカへの国境の横断も音楽を中心に考えていました。さらにインターナショナルからグローバルと言う言葉が一般的になった時には、インターネットの普及による情報の国際化(という言葉も古いでしょうか)が実現したけれど、国境を超えると事が重要だと偏った意識が強くなり、片方で国単位または地方の意味も見直す動きも出てきます。そしてグローバルとローカルの両方が重要だというバランスを意識した考え方も出て来ました

  さらに今年グローバルに蔓延したパンデミックである新型コロナ・ウィルスもまた人を媒介にしてまたたくまに世界に広がってしまいました。しかしそれに対する世界の対応は決してグローバルではありませんでした。逆に国境を封鎖する事で感染拡大を防ごうとするボーダーをより強固にするものでした。そして国境を閉じた後の国内で国民の安全を図るかというと、逆に職業や収入や人種を分断して感染の危機を限定化し、その結果として危機に直面したのは構造化された差別の壁による被害者たちでした。感染も失業も富裕層やIT産業の従業員ではなく、マスクを与えられず消毒もできないスーパーの従業員たちだった。

  越境や横断を情報と人の自由な移動と考えると、壁の方は分断するネガティヴな装置だと。これはまだ少し詰めて行かなければならないかな。写真は大通りのバラ。明るくて爽やかな黄色が好きで、このサン・フレアという品種を手に入れて植えてみたい。