「オメラスから歩み去る人々」と修正第2項

 アマゾンで映画を見ていて、アーシュラ・ル・グィンの「オメラスから歩み去る人々」が引用されたのでびっくりしました。映画は『デルタ・フォース』(2020)。デルタ・フォースの少佐が息子を大学の寮に迎えに行くと、最高裁判事の娘を誘拐しようとするテロリスト集団に遭遇する。

 実はこのテロリストはCIA長官の部下で、銃規制を支持する判事の意見を変えようとする長官の謀略だった。また実はこの長官は娘を銃の暴力で亡くしていたと。それにしてもこのプロットは無理があるのですが。

 長官が判事の家を訪れて、ビリヤードをしながら「オメラスから歩み去る人々」の話をします。つまり判事の娘を犠牲にして、正義(銃のない社会)を実現しようと意図する。この作品は『風の十二方位』(ハヤカワ文庫)に収録されています。理想郷のような社会が一人の少年を犠牲にして成立している矛盾。住人は大人になる時期にその犠牲について知らされます。当然のように、怒り、同情をしますが、その犠牲だけが条件で、平和で豊かな共同体が確保されている事にさらなる異議を唱える事はない。そんな犠牲を忘れて、または忘れるふりをして暮らします。でもそんなオメラスに耐えられずにそこを離れる人もいる。それがタイトルの「オメラスから歩み去る人々」です。

 映画の方は童顔の47才のライアン・フィリップスが主人公を演じています。ライアンというと最近はライアン・ゴスリングやライアン・レイノルズが出てきますが。ライアン・フィリップスの方は『クラッシュ』(2004)での人種差別的な警官(マット・ディロン)と組む若い警官を演じていました。次は『ストップ・ロス』(2008)で兵役延長に悩む兵士。『リンカーン弁護士』(2011)での裕福な若者で犯人の役でした。3つの映画はそれぞれの観点から自分のブログで紹介していたんです。

 映画の原題のThe 2ndアメリカの憲法の修正第2項を意味します。例の銃規制反対側の論拠になっていますが、1792年?のもので、「民兵」(militia)が銃を持つ権利の事です。つまり連邦政府が理不尽な事をすれば、軍隊のない当時は市民が銃を持ってミリシャとして抵抗できた。で、それは200年以上も前の事で、この現代で「民兵」ではない普通の人が銃を持つ権利の主張のもとにしている不可解さ。その矛盾が理解され解消されるどころか、銃を持つ権利を主張するトランプを支持する国民の多さがアメリカの民度の低さだと言える。銃を持ってホワイト・ハウスに乗り込むか。

 映画はデルタ・フォースの士官の活躍に終わって、最後も別な悪役に襲われる場面でした。続編という事なのかな。映画もこのブログも「オメラスから歩み去る人々」から離れてしまった。