『チャンドラー講義』を読んで

 お洒落な表紙です。そして顔(キャラクター)に斜線が引いてある画像で、少しだけ内容が想像できるような。チャンドラーの顔なのだろうか。それともマーロウか。

 諏訪部浩一氏著『チャンドラー講義』(2014年、講談社)。講談社の文芸誌『群像』に連載していたようです。

 『群像』は若い時に時々、買って読んでしました。他の出版社の文芸誌よりちょっとチャレンジングな内容が多かったと記憶しています。

 諏訪部さんは東大教授のアメリカ文学者でフォークナーが専門です。『マルタの鷹講義』(2012年、研究社)、『ノワール文学講義』(2014年、研究社)に続く「講義」シリーズ、と僕が勝手に呼んでいるのですが。

 2012年の『マルタの鷹講義』を出した時に、アメリカ文学会の北海道支部の特別講演に来てもらいました。

 さて、読後のコメントです。と、言うかまとめ+コメント。

 

・チャンドラー文学のゆれ

 レイモンド・チャンドラーが「ただの探偵小説」と「文学」の間を揺れ動く。でもそれってhigh cultureとlow cultureの差異を無化するポストモダン的視点からすればこれが常態・当たり前かも知れません。「たかが文学」とも言えるし。

 「文学」と「文化」の間を揺れ動いていた自分の研究スタンスとも共通するんですね。「揺れ」、「揺れ動く」は文系の、文学系の作品/テクスト/作家のあり様とも関連していると思い当たります。

・「探偵小説」というフォーマット

「探偵小説」というフォーマット自体がが仮りのもの。前項のジャンルもまた「揺れ動く」。少なくとも「謎」が中心ではない。普通の?「小説」を目指す。それもまた作家の文学志向かな。

・「傍観者」としての探偵

 「行動する者」ではなく、「傍観者」としての探偵。さらには「読者」・「観客」としての探偵。う~ん、探偵もまた「揺れ動く」。

 そしてそれは、ハードボイルド作家ご三家の末弟?ロス・マクドナルドのリュ―・アーチャーに通じるかも。

 ご三家とはご存じの通り、ダシール・ハメットレイモンド・チャンドラーロス・マクドナルド。つまり「推理小説」の「探偵小説」の「ハードボイルド」の、根っこが定まらないジャンルの、当然の帰結かな。

 つまり「探偵」って、事件の謎を追うよりも、人間の謎を追う作家の仮りの姿か。

ノワール小説的

『グレート・ギャッツビー』(1925)はかなりノワール小説的で『さよなら、愛しい人』(1940)と比較される。

 『ロング・グッドバイ』(1953)の「訳者あとがき」(村上春樹、550)で、「『ロング・グッドバイ』を読んでいくと、その小説には『グレート・ギャッツビー』と重なり合う部分が少なからず認められるとある。

 でもマーローがニック・キャラウエー(語り手)は共通するとしても、ギャッツビーはテリー・レノックス(『ロング・グッドバイ』)よりは、不実な元恋人ヴェルマを追いかけて殺されるムース・マロィ(『さよなら、愛しい人)でしょう。

 ・「片付かなさ」や「暗さ」が文学性

 「主体性=自我」を世界からの「ズレ」において担保する近代人。チャンドラーは「ただの探偵小説」ではない探偵小説を目指している。するとマーロウがアイデンティティ・クライシスに陥る(『リトル・シスター』)。

・探偵を主人公としたリアリズム小説

 これは『ロング・グッドバイ』について。でもそれって言語矛盾ではないだろうか?探偵はロマンス(恋愛ものと言う意味ではなく)のヒーローだと思う。そしてそれは作家≒探偵という偽装した作家の人間の謎を追う「仮りの姿」。実は「探偵小説」って、偽装した?「リアリズム小説」か。

・探偵をしない、依頼人のいない「探偵小説」

 『ロング・グッドバイ』のテリー・レノックスは依頼人ではなく、たまたま酔っぱらったレノックスを助けて友人になる。「探偵小説」ではなく、「普通小説」だけど、レノックスはマーロウにたくさんのトラブルをもたらすので、友人を救済する主人公としてヒーローになる。物語が生まれる。

 「仕事抜きの友人関係」では探偵小説・ハードボイルド小説の意味がない?それにマーロウは納得できなければすぐに依頼料を返却しようとする探偵。それは金のために仕事をしている訳ではない。では何のため、実存的理由?

・実存的探偵小説

 主人公の実存問題を追及した長いリアリズム小説は、戦後の実存主義、60年代のポストモダンの影響だろうか」。

 ハードボイルド探偵の自己パロディ的な意識もあるし。これもいつも書いている「メタ・ミステリー」。そう言えば、今年亡くなったポール・オースターの初期の『NY三部作』でも依頼人がいなくなり、探偵もいなくなってしまいました。

・最初にふれたように、表紙の絵にも描かれているように、探偵の顔が線で見えない/消されているのは、「探偵のぶれ/ゆれ」を、さらには「作家のぶれ/ゆれ」について、文学研究者による文献の精査、注とも研究論文的なところもあり、『群像』ならではところかなと感心しました。

 予告?はアマゾンで最近みたチャンドラー作品の映画化についてです。

 原作『大いなる眠り』(Big Sleep、1939年)の映画化①『三つ数えろ』(1946年)。チャンドラーのオリジナル脚本の映画②『青い戦慄』(1946年)。そして現代アイルランド作家ジョン・ヴァンビルの書いた『黒い瞳のブロンド』(2014年)の映画化③『探偵マーロー』(2023年)。『黒い瞳のブロンド』は『長いお別れ』の公認?続編だそうです。でもだれが/どこが公認するのでしょうね。