Take Five ってユダヤ的?

 Take Fiveってジャズのオリジナルでは最も有名な曲?アリナミンのCMのせいか。

 高校の時に音楽の授業の前か後かある男子生徒が教室のグランド・ピアノでこの曲を弾いていて「恰好いいなぁ」と思った記憶があります。 

 標題について。ヨーロッパ的でもアフリカ的でもないような。その前後からジャズは聞いていたので、変拍子という言葉は知っていた。でも曲想が中東的と知っていた訳ではありません。

 ディランの『欲望』の「コーヒーをもう一杯」のアラブ的な楽調にディランのユダヤの出自を勝手に連想しました。

 そして今回『東京大学アルバート・アイラ―』(菊地成孔大谷能生)を再読して「(Take Fiveの)旋律のラインは物凄く『ユダヤ音楽』の薫りが漂っています。」とあり、そうなんだと納得。

 作曲者のポール・デズモンドだけでなく、リーダーのデーブ・ブルーベックもユダヤ人。ハービー・マンと並ぶジャズの商売人と言う雰囲気だけど。ブルーベックがアレンジをしたらしい。

 そのTake Fiveが入っている Time Outを出す前に『ユーラシアの印象』というアルバムがあります。その前に国務省の肝いりで13ヶ国を3か月で演奏してまわったらしい。その結果の前述の2枚のアルバムです。

 ジャズって出自はブルースとラグタイムと言われるけれど、今回知ったけれどブルースの反復、ループする展開も興味深い。

 さてユダヤ的な音楽の影響はあまりないと思いました。かえって、西アフリカからアメリカにわたる時のカリブ海の影響が強い。モダン・ジャズのディジー・ガレスピーが採用したキューバのパーカッション奏者チャノ・ポソのように。するとリズムかな。

 Take Fiveはトルコの旋律、リズムをアレンジしているようです。トルコって地図を見ると中東にもギリシャにも、ジョージアにも近く、歴史的にも様々な文化を取り入れているよう。このトルコ的旋律がユダヤ音楽との共通性があっても不思議ではない。前述の本では、トルコ~ユダヤへの説明はないけれど。言語能力のある(あり過ぎる?)ミュージシャンなので本は興味深くも難しい。

 ジャズは誕生したアメリカと同様に多国籍・他民族による多様な音楽だ。ラグタイムはragged timeで西洋音楽のなめらかさを拒否する「ゴツゴツした拍子」。これってシンコペートだと思います。ブルースは奴隷解放後に南部から北部の都市に移住した黒人たちの悲しみ・憂鬱を歌う。

 楽器は西洋音楽・クラシックのものだけれど、音楽はアフリカ~カリブ海中南米。さらには中東の音階まで登場するんですね。アドリブとインタープレイがあればジャズになるか。それ以上のジャズ的な根拠って何だろう。

 Time Outを聞き直してみましたが、Take Fiveが突出している。でもそれ程の名曲かなともリスニング歴だけは長い老人は思ったりして。

「最後の授業」の評価の変遷

 たぶん中学の時だろうか。それとも小学校高学年か、国語で「最後の授業」という話を習った記憶があります。

 フランスのドイツ国境に近いアルザスという地方の学校で、「最後の授業」が行われる。翌日からドイツ領になり、ドイツ語が学校で学習するようになる。たぶん戦争かなにかでフランスが負けてしまったから?その頃はそう思ったか教えられました。普仏戦争って言われても当時は・・・

 特に何も考えずに、母国語に誇りを持つ「国語愛国主義」的にすんなりと受け取った記憶がある。

 しかしこの「最後の授業」、いろいろと問題がありました。

 フランスのアルフォンス・ドーデという作家の短編。日本の幕末から明治初期に活躍した作家で『風車小屋たより』も名前を聞いたことがある。その中の短編「アルルの女」もその後、戯曲化され有名になったようで、名前は知っている。

 で「最後の授業」について、いま書評を書いている本に出てくるので調べたらいろいろと面白い。書評対象本でも「失われた大義」という言葉で、南北戦争で負けた南部が白人の奴隷主と黒人奴隷は友好的だったとか、奴隷制は遠からず廃止されるはずだったとか、黒人差別の極限的な形態である奴隷制に対する責任を回避する/ずらそうとする。その事によって、人権に基づく奴隷制廃止という「大義」が「失われて」しまう。

 ちょっと面倒ですが、その事を論じる枕に「最後の授業」をもってきています。南部の「失われた大義」と「最後の授業」の共通点については後ほど。

 「最後の授業」は、日本で1927年に教科書として採用され、戦後の一時期に消えた後、1952年に再び採用される。しかし1985年から教科書に採用されていない。その理由として、諸説ある。

 実はアルザス地方はもともとドイツ語方言のアルザス語を話していて、当然プロテスタントも多いとすればドイツ文化圏か。でもカトリック信者が多いと言うという説もあり、そうなると言語と宗教のねじれた地方という事に。さらに国境を接する地方では言語と宗教の多様な混在もまた当たり前かも。

 また作者のドーデがプロヴァンス地方の出身であり、プロヴァンス語はフランス語とは異なる。地方出身者の中央/主流への過度の傾倒か。さらに反ユダヤ主義という面もあるという。ま、それは当時のフランス人の中で特殊と言う訳でもない。10年くらい後には「ドレフュス事件」もあったし。

 いずれにしても、フランス語文化圏の地方がドイツ語圏になる事の悲劇を描いたと思った日本の生徒たち。ま、それ以上考えるほど感動したわけではないですが。

 構図的に ①「国語愛国主義的な受容」 → ②「(ドーデによる)言語文化について歴史・文化的偏向」 → ③「国語イデオロギーが文化的多様性を抑圧する風潮への批判」

 で、①はまあ、当時としては妥当だとしても、②が知られて、③も含めてPC(politically correct)的に宜しくないと判断され教科書から消えたのでしょう。

 前述の「失われた大義」については、自国語を誇りに思う気持ちは自然のものだけど、「最後の授業」ではアルザス語(ドイツ語方言)を話す人々の大義が失われたのではないのに、フランス人の地方人のドーデが勝手に「失われた大義」的に解釈した点が、南北戦争後の南部の歴史改変的な解釈と類似しているかなと。少し面倒な話になりました。

  でも普通にフランス人ドーデが「フランス語は素晴らしい」という国語愛国主義を小説で歌い上げ、それを日本の教科書で取り上げるのは、これも普通であると思う。僕は面白いと思うのは、そのような誇りが実は作家が歴史や文化の細部を捻じ曲げた結果であり、そのことが分かった事もあり、かつそのような誇り自体も他の文化を抑圧している可能性について配慮され、修正されたという事である。

 写真は「最後の授業」が収録されている短編集『月曜物語』の表紙。黒板にVive La France(フランス万歳)と「最後の授業」の最後にアルメ先生がと書いている。

 フランスも他の大国も、小国もそうかな。自民族中心主義(ethno-centrism)はどこでもあります。でもフランスはフランス語が世界で一番美しい言葉と臆面もなく言う国でしたね。確かにフランス語の響きが美しいけれど、自分で自分の事を美しいというのはちょっと・・・

 自国の文化を誇りに思うのは自然ですが、他の国と比較して一番とか言い出すと、途端に独善的になってしまう。日本でもそんな本を出した政治家がいました。

 追加的に書いていますが、アルザス地方の人は普段アルザス語を話していて、子供は学校で国語?であるフランス語を学んでいる。その学校で学ぶ言葉がドイツ語に代わってもそれほど・・・前述のようにドイツ語の方がアルザス語に近いし。主人公のフランツ君の名前もドイツ語っぽいね。

 

 今日は寒い。水曜は25度越え。今日は10度ちょっとで10度以上の温度差は70才越えの身には厳しい。それでも朝9時15分に山の手コートに行ったんです。誰もなかったので生協で買い物して帰宅。

 午後、公園では桜がちらほら開花しているので散歩。うちの方のコートで知り合いがやっていました。ストーブがほしいと言っていました。

 

女性作家は面白い

「女性作家は面白い、けどコワイ」というタイトルを考えたけど、何となく「コワイ」のでやめました。

 さて何人か女流作家の作品を読んでいます。だいたい前に買って読んでいた作品ですが。

・平 安寿子(たいら あすこ)

 『グッドラックららばい』(講談社、2005年)と『素晴らしい一日』(文春文庫、2005年)が本棚にあって再読。

 今回、生年月日が3月9日と僕と同じである事が判明。しかも1953年生まれ。もっと若い人とだと思っていた。若いって言っても50代か60前後。たった一つしか違わないとは。

 それとアメリカの有名だけど地味な?アン・タイラーに平(たいら)というペン・ネームが由来している。『偶然の旅行者』が映画化で有名。

 アン・タイラーは翻訳はほぼ読んでいるし、ペーパーも10冊くらいあるのですが、そっちの方はあまりきちんとは読んでいません。

 『こっちへお入り』(2008)と読みました。30過ぎの独身OLが落語に挑戦する話。たまたまNHK朝の連ドラ『ちりとてちん』の再放送をNHKオンデマンドで見ている最中なので、面白い。

 

絲山秋子(1966~)

 『袋小路の男』(2004)前に読んだことがあるけれど、よく覚えていない?ので、再読待ち?

 『沖で待つ』(2005)芥川賞。本棚を探しているけれど見つからない。アマゾンで注文しようと思いつつ、注文した後で見つかるケースも時々あるので、少し時間をおいてまた探そうと。

 

角田光代(1967~)

 『対岸の彼女』(2005)直木賞受賞作を再読。女性作家の怖さと面白さの例です。分析は今後の課題?

 『ツリーハウス』は昨日アマゾンから届いて読書中。角田さんの作風とは違うような。

 

・萱野葵(かやのあおい、1969~)

 『段ボールハウスガール』(1999)は米倉涼子主演で『ダンボールハウスガール』映画化されたらしい。

 『ダイナマイト・ビンボー』(2003)は再読。女性作家の怖さと面白さの例です。分析は今後の課題?

 女性作家のリアリズムって、厳しいけど鋭い。ちょっと逃げ場がないような。読んでいてツライ部分もあります。

 

 コートに行くと女性のメンバー(僕よりも年上です)から「先生は苦手だなぁ」と言われました。僕が元教師だった事をいっていると思ったのですが。

 家に帰って、その意味に気付きました。コートでは来た順番に名前を書いて、それに基づいてプレイの順番を決めます。

 じつは彼女はコートの入って来て、すぐに仲間と雑談をするタイプ。名前を書かない。すると彼女に名前を書くように言うか、誰かが代わりに名前を書き入れる。そのあたりの不満を僕が別な人にその事を言ったような気がする。

 僕は4人のプレイが終わってすぐ次の4人がコートに入らないと気が済まないタイプです。でも入れ替わりなんか、のんびりやればいいとも思いました。生徒を管理する先生のようなうるさい人と思われたようで、少し自分のピリピリした点を反省しました。今度コートに行ったら、彼女に「先生はやめました」と言おうと思います。

 写真は本当は上記の作品の表紙がいいのでしょうが、適当なのがないので、デュフィの出身地ル・アーブルを描いた「ル・アーブルの庭と家」(Jardin et Maison au Havre)という1915年の作品です。ル・アーブルはLe Havreなのですが、leというフランス語の定冠詞(英語のthe)の男性形。場所を表すàという前置詞がくるとLe+à → auとなるフランス語のルールです。カフェ・オレのcafe au laitと同じ。

花粉症、コート・オープン、締め切り、難聴?

 去年は出なかった花粉症。少し出ました。近所の眼科へ。
 木曜にネットを張りました。うちのガレージにネットその他を預かっています。
 昨日は土曜日の仲間が登場。挨拶をして1ゲームだけやりました。ここのメンバーは上手いので、それに合わせると後でハム・ストリング(太ももの内側)がつります。それで普段は山の手コートで雑談まじりにのんびりと。
 支部機関誌の締め切りが明日。8割くらいは書けているのですが、あと2割のまとめと修正に時間がかかります。ここで出来が決まる。何回もプリント・アウトして赤を入れて。
 で今日も、図書館で。家にいると気持ちがゆるむ。家の内外でいろんな事ができて集中できない。図書館だと他人の中で閉ざされた空間で、1~2時間は集中して勉強できます。

 日曜日は10時開館なのホールの勉強カウンターでと思いましたが、ほぼ満席。幸い1階の「もりひこ」が開いているので、ジャージー・ミルクのカフェ・ラテを飲みながらノートPCでこのブログを書いています。
 ランチも変化があるし。晩飯を買って帰ると奥さんが喜ぶし。
 そうだ、難聴。年末から左耳の調子がよくなくて、それが飛行機に乗ると気圧の関係で悪化するかと心配していました、でも大丈夫だったけど、今度は右耳が。書斎のデスクトップで家内とNHKオンデマンドで朝の連ドラや大河の再放送を見ていますが、聞こえずらくなった。もともとPCの音量はあまり大きくないのですが、アマゾンで見た映画をまた見てみるとぜんぜん聞こえ方が違う。最大のボリュームでもよく聞こえない。 
 でもいい事が二つ。家の換気扇の音がうるさくなくなった。聞こえなくなってよかった。もう一つ。図書館のBGMが気にならなくなった。よかった(のかな?)。

「与話情浮名横櫛」と「玄冶店」、どう読む

 読みかたは「よわなさけうきなのよこぐし」と「げんやだな」。

 歌舞伎狂言「与話情浮名横櫛」4幕目の妾宅の名前「玄冶店」。江戸時代の医者岡本玄冶の屋敷跡のようです。

 これは春日八郎の「お富さん」でも歌われている。僕は中学時代1965年頃、大晦日にテレビで放映される「雲の上団五郎一座」の三木のり平と八波むとしのコントがとても、すごく面白くて、兄とお腹を抱えて笑い転げました。それが演目は「玄冶店」のようです。そんな事は高校時代にみたコント55号と並ぶ、私的2大最強コント。

 この「玄冶店」では切られの与三を三木のり平が演じていたその扮装や身振りも覚えていますので、八波むとしは蝙蝠の安、由利徹がお富さんを演じていた。

そんな三木のり平は森繁の「社長シリーズ」でも営業部長役で、いつでも「パァーッといきましょう、パァーッと」と宴会をセッティングする。思わず「宴会部長」と書き間違えそうになりました。前後の脈絡もなく、また場の空気も読まないで「パァーッといきましょう、パァーッと」と周りを宴会ムードに巻き込む。三木のり平が出てくると楽しい気分になります。貴重な、本当に貴重な喜劇役者でした。

参考文献として三木のり平、小田豊二(聞き書き)『のり平のパーッといきましょう』(小学館文庫、2002年)をあげますが・・・

つながり

 旅先で読んだ『夢果つる街』の訳者北村太郎

 北村は『荒れ地の恋』の主人公。友人の田村隆一の妻和子と恋愛関係に。

 この和子は有名な彫刻家、高田博厚の娘。

 この高田は獅子文六の友人。

 何となく再読している『獅子文六の二つの昭和』に出てくる福澤諭吉

 で獅子文六の父は福沢諭吉の弟子である事を初めて知りました。初読の時は見逃した。

 しかもこの父茂穂は豊前中津藩の武士の出で攘夷にとりつかれて、同郷の福澤の開国・外国かぶれに反対し暗殺団?に加わるも失敗。後に福澤に心酔してか時代の趨勢もあってか門下生となる。さらにアメリカ留学まで果たす。

 しかも(またです)有名な福澤の『学問のすゝめ』の共著者、小幡篤次郎が豊前から豊雄と名付けてくれたんだって。獅子文六の本名は岩田豊雄って言うんです。演劇人としてはこの本名。文学座の創設にもかかわった。

 来週月曜日が締め切りの書評の対象は慶応の名誉教授T氏の慶応義塾アメリカ関連本です。

 ずいぶんとつながった。極私的ですが。

 2週間ぶりの図書・情報館。でも休館でした。どうしようかと思いましたが、実は図書室の外のロビーと言うかホールと言うか、広い空間の窓際にカウンターがあって、しきりとスタンドと椅子があります。

  2月3月は春休みの高校生や受験生で混んでいました。でも今は大丈夫。初めてそこで勉強?悪くない。図書室のworking spaceの狭い場所よりもいいかも。

 そこで獅子文六と慶応・福澤さらにイサム・ノグチの関連について原稿を書き継ぐ。

 イサム・ノグチは母親(アメリカ人)と大森に暮らしている時に、横浜から引っ越してきた文六一家と近所になります。イサム7才、文六15才か。

 のちに文六はパリに留学(遊学)してフランス人女性を妻として日本に連れ帰りました。しかし彼女は日本になじめず帰国してまもなく病気でなくなります。文六は一人娘を育て、『娘と私』という半自伝的な小説を書く。

 イサムの母と文六の妻。日本と言う異国に暮らすヨーロッパ人の妻の暮らしずらさを想像してしまう。

 でT氏の本は、慶応とアメリカまたは日米だけでなく、もっと大きな地理的な枠組みで文学と思想を論じる壮大なプロジェクトで、理解するのも書評を書くのも大変です。

 でも全部読むのではなく、T氏の論文とアメリカ文学に関係する部分にしぼって書く。もっともそれでなくてはできないですし。

 何かつながったような、つながってもいないような。ま、それでいいのだと。

 しかも時間が僕のブランチ・タイムに近づいてきて落ち着かない。朝食はとらないので11時くらいにおなかがすいてきます。水曜のCPは日替わりが「レバニラ炒め」と店員さんに聞きました。でもおかみさんは「ニラレバ」といつも訂正してきます。美味しいからいいか。しかもここは黙っていても生ビールのジョッキと紹興酒をグラスでもってきてくれますし。

旅先で『夢果つる街』

 旅行中は気軽に読める文庫本を2冊携行。

 1冊はトニー・ケンリックの『スカイジャック』。機内で読むには差支えのあるタイトルを隠して?読みました。

 2冊目は謎の?作家トレヴェニアンの『夢果つる街』。

 実は2冊とも小林信彦のお薦め本。

 1冊目のコミカルな犯罪物は僕的にはいまいちでした。

 でも2冊目は訳者が北村太郎だったのも僕的には興味深い。作品も面白かった。

 詩が好きだったので、20代から北村太郎の名前は知っていましたが、鮎川信夫田村隆一吉本隆明のようなビッグ・ネームではない。その人が50代から「荒れ地の恋」をきっかけに詩を再開し、没後そのロマンスが本になり映画化された。

 僕はその本『荒れ地の恋』(ねじめ正一作)や、一人暮らしの老詩人と同じ家に間借りをしていた人のエッセイも読んで、詩人の孤独や人となりについてあらためて知ったのでした。

 詩人はそれだけでは食えないので、本業?を持っていたり、翻訳や教師として生活の糧を得るのが普通でした。北村太郎の場合は「校正」の仕事。優秀な校正者として定年まで勤めあげる。ま、文字や文章に関わる仕事でもありますが。戦後のミステリーの多くが詩人のアルバイト?でした。

 北村太郎について知る事で、鮎川信夫がいかに友だち思いでかつ秘密主義だったかを知ります。没後、奥さんがあの英語で有名な最所フミだった。12才年上。鮎川の英語の翻訳は英語については奥さんが点検?していたのか。また詩はよかったけれど二枚目でもてた田村隆一のだらしなさも。

 で、『夢果つる街』。カナダのモントリオールの下町で警部補を務めるラポワントが主人公。その孤独が訳者の事を知っている読者には気になる。何かしら主人公との共通点、内容に共感する点、訳の詩人的な部分を知りたい。

 フランス系カナダ人でインディアンの血も引くラポワントは結婚後1年で妻を病気で亡くし、40代で捜査中撃たれて瀕死の重傷を負った。それとは別におもい動脈瘤を患う54才。有能だが厭世的な皮肉屋。犯罪者には厳しく(時に厳しすぎる)、弱者にはそれなりの武骨な温かさも見せる。

 しかしイギリス系の新人が登場して、主人公と対比します。でも同時にガットマンという名前なので、ユダヤ系イギリス人だとしたらややこしい。かなりカナダの民族、宗教も関係する。議会派清教徒とか言われてもピンとこないので調べてしまう。

 このイギリス系+フランス系のほかに、スペイン系、ポルトガル系、イタリア系、ギリシャ系、さらにユダヤ系も登場して多民族国家カナダの面目躍如というか混乱というか。 それと犯罪は女性がターゲットとなる、レイプや売春など少しうんざりしますが。最後の方でこれが未解決事件の鍵ともなる。

 犯人は主人公の近くにいた。それでゆっくりと読み返しています。犯人もアウシュビッツで妹を失い、若い女性をもてあそぶ男性に個人的に復讐をしてしまう。

 札幌に着く少し前に再読終了。純文学と娯楽小説の中間くらいで面白い。

 何か人の世の悲しみみたいなものが、暴力や報復としての犯罪、届かない思い、など犯罪小説、恋愛小説、老人小説、友情小説。いろんな味わいや色合いを持つ小説のように感じました。

 詩人がどのような思いでこの作品を訳したか、気になります。

  写真はペーパーの表紙。The Mainが原題で、モントリオールのフッド(危険な地域)の名前です。モントリオールはカナダの大学(勤務先の提携校)で4か月交換教授をしていた時に、遊びに行きました。オタワ~モントリオールケベック・シティと旅して。フランス語が中心ですが、ホテルのフロントや旅行代理店では英語が通じました。

 地下鉄の入り口で若いチンピラ風の男から「アッシュ、アッシュ」と言われて、後からhashish(ハシシ、英語で大麻)の事だと分かりました。hがフランス語風にサイレント(無音)なので「アッシュ」と聞こえたんですね。もちろん買いませんでした。